さすがに躊躇
落書きだらけの橋脚を前にして立ち、タコを手に「いざ!」と構えるのだが、どこか心がチクリとする。
子どもの頃から、さんざん「食べ物を粗末にしてはいかん」と言われて育ったのだ。躊躇しないわけがない。
懸命に「これは粗末にするんじゃない。無駄にするのでもない。おいしくするための努力なのだ」と言い聞かせることで、なんとか第一投目をぶつけることができた。
ベチャ。…コロコロ。 壁にぶつかったタコが傾斜の部分に落ちる。それを拾いに行き、再び投球。もとい、投タコ。
それを見ていた撮影担当の友人が「…なんか、タコが可哀相だよ」と言い出した。ええぃ、うるさい! 可哀相じゃない! おいしく食べるから、いいことなんだ!
…と言い返しつつ、私もまだ気持ちが吹っ切れていなかったようだ。
後で写真を見て気が付いたのだが、投げたタコが全て山なりなのだ。なんだこれは。アイドルの始球式か。もっとビシッと投げたかったが、脳から発せられる伝達信号を、寸前で腕が拒絶したようだ。
ギリシャでは「バッチャーン!」という派手な音が立つというのに、私のは「ベチャッ」だ。比べものにならん。
心を鬼にして
もしかしたら、壁までの距離が問題なのかもしれない。もっと壁に近寄れば、力強くビシッ!とタコを打ち付けられるのではないか。
そう思い、次は距離をグッと縮めることにした。
タコを拾う手間がない分、連続して何度も打つことが出来る。ビシッ、ビシッ、ビシッ…
友人もこの光景に慣れたのか、もう何も言わない。ビシッ、ビシッ…
いま、改めて写真を見てみると、これはアレだ。夜中に五寸釘を打ち付ける人と同じポーズだ。無口になるハズである。
もう、タコに余計な思い入れを抱いて躊躇することがなくなった。タコはタコだ。私は今、タコを柔らかくしている。それだけだ。
いつまでも上を向いた格好でいるのも疲れた。次は違うフォームで叩いてみよう。
「…いや、それ応援団になってるから」 「え?」
ボスッ、ボスッ、と重く鈍い音をさせながら、タコが叩かれていく。
結局、3つのパターンで計5分ほど叩いただろうか。ビニール越しにタコを触ってみて「おおっ!」となった。タコがすっかり柔らかくなっているのだ。
こんなに柔らかいタコは触ったことがない。ちょっと興奮して感動した。
ギリシャ方式に則り、家に帰ってから焼くつもりなのだが、試しにひとくちだけ生の状態で食べてみて、また驚いた。