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フェティッシュの火曜日
 
時をかける地下街

現役!浅草地下商店街

そのまま銀座線に乗って浅草駅へ。今回の3カ所は全て銀座線で巡ることが出来る。先に書いたとおり日本最初の地下鉄である銀座線、上野・浅草・銀座を通る当時の盛り場縦断鉄道だったのだろう。今だと渋谷・新宿・池袋あたりか。普通に山手線になりますが。

そして到着したのが1955年(昭和30年)、日本で3番目に出来た地下街・浅草地下商店街‥おぉ、こっちはちゃんと賑わいがあるぞ!


おぉ、なんか昭和のにほひ!いいねぇ。

天井は思ったより高い。
これだけお店が入ってます。

先の神田に比べるとかなり地下街している。ただ、普通の地下街とも雰囲気が違う‥と思うのも、普段我々が照明ピカピカ、通路広々の地下街をイメージしてしまうからだろう。

それに比べて、この浅草の地下街は‥。あのー、世紀末系のSF映画やアニメで荒廃・砂漠化した地上から秘密のマンホールに入ると、アンダーグラウンドにマーケットが‥みたいな展開ってよくあるじゃないですか。ああいう雰囲気があるんですよね。やや薄暗くてパイプ剥き出し、でもどこか照明や雰囲気に暖かみがある。ちょっと猥雑なんだけど、それが心地よい。


やっぱりパイプ剥き出し系。カッコイイ!
タイ飯屋が違和感ない雰囲気なんだよね。

地上への階段も、なんかダンジョンから出た!て感じ。

現在では地下街を新設するには「地下通路の有効幅を6m以上とする」という規制があるそうで、そういう意味では浅草は地下街とは言えないと思われる。でも店がボロっちいわけでもないのに「昭和」を匂わす雰囲気は、レトロ系テーマパークには生み出せない味なのだろう。

1955年の流行語は「三種の神器(電気冷蔵庫・電気洗濯機・テレビ)」。翌年1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」という言葉が掲載される。生活レベルが「戦後」から次のステップに進もうとした「勢い」は今もちょっとだけ匂うような。


こういう場所場所に昭和感が。
看板に貼られたシールもまだ新参者!て風合い。

 

今も残る盛り場感、銀座・三原橋地下街

そして最後は2番目に古い1952(昭和27)年完成の三原橋地下街。これまでが地下鉄の駅に付随した地下街だったのに対し、ここは有楽町から伸びた晴海通りの地下。

映画館・銀座シネパトスが3館あり、居酒屋を中心に数店舗建ち並び、雰囲気としては「高架下の飲屋街」といった感じ。


居酒屋が空いたばかりの時間なのもあって落ち着いてました。

関東近辺の映画好きにはおなじみ。
大人のおもちゃ屋なんかもありますが。

地下街というにしては小さい気もするが、映画館と飲食店というと昭和27年当時の最高の娯楽セットだったのでは。その年のヒット映画というと邦画だと黒澤明の『生きる』、洋画だとチャップリンの『殺人狂時代』など。それらを見て向いの飲み屋で一杯‥いいねぇ、今も昔も。

ちなみに取材の日は昭和天皇を描いた「太陽」が公開されてました。昭和巡りだった今回の地下街巡りにタイミングいいなぁ。


結構お客さんも並んでました。

でも次がウェズリー・スナイプス特集かよ!

向かい側の飲み屋の方もそれほど高い値段でなく、銀座飲みが楽しめて嬉しい。映画見て酒飲んで、この地下街だけでプチ・銀ブラだ!


銀座でもひと皿400円
定食でもこんな感じ。

1932年・1952年・1955年の地下街。どこも「地下」という怪しい言葉と「街」という華やかな言葉が時間をかけてガンボ状態にトロけてる場所になってる気がした。照明は明るいのに、どこか時代を経て匂ってくるものがあるというか‥。

今見る地下街とは全く違うけれど、場所場所にその時代の匂いがある点が今の小綺麗な地下街とは違う。たまには古びた地下街に、ゴーイング・アンダーグラウンド!


おつかれさまでした。銀ブラして帰ります。

下の駐車場がまたデカいんだ。

「商店街の地下化」な時代なんだな。

この取材の数日後、大阪に行く機会があり日本最大の地下街であるクリスタ長堀を覗いてきた。約100店舗、駐車場も1000台以上とスケールは今回見た地下街の何倍だっていう話で。

でも今回行った所と比べると、昔の地下街は「商店街の地下化」、今のは「ショッピングモールの地下化」という違いを感じる。もちろんドーンとしたショッピングモール系も好きだけど、地元商店街系が好きな自分からすると、古い地下街の方を微笑ましく思うのも納得したような、気がしました。


 

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