線路を跨ぐ道路、跨線橋。跨線橋が好き、という鉄道ファンも多いと聞く。
ぼくの家の近所にもJR総武線を跨ぐ跨線橋があって、その何とも言えない独特の雰囲気にはぼくもぐっとくるものを感じていた
今回は例によってその分かりづらい「ぐっ」を共有できればと思う。
(text by 大山 顕)
左は冒頭に書いた家の近所の跨線橋。国道と、線路を挟んで反対側の道路を結ぶ橋だ。
自動車道が画面右からなだらかに登っていくのに対し、歩道部分は線路すぐ脇の階段から登っていくようになっているところなど、いかにもよくある跨線橋だ。
高架化されていない線路を跨がせるというそのバリアフルな方法にぐっとくる。思えば同様に横断する無骨な方法としての地下道や高速道路を跨ぐ橋を鑑賞したりしたことがある。どうもぼくはこういうのに弱いらしい。自分発見の旅・デイリーポータルZ。
しかし今回とりあげたいのはこの跨線橋自体ではない。
ぼくが最もぐっとくるのは跨線橋の「下」。あの暗い空間を何に使っているのか、だ。
跨線橋の登り口から線路までの間には距離がある。おのずとその下には三角形のなんとも中途半端な空間ができる。
場末の喫茶店とか定食屋のトイレが階段の下の空間に作られていたりするするじゃない、あれの都市版と言ったらいいかな。
で、この近所の跨線橋の場合その「下」がどうなっているかというとご覧の通り児童公園だ。
昼なお暗く、上部の跨線橋に加えまわりも雑居ビルとマンションで閉塞感はさらに増量。地面もなんか石ころだらけだし。
子どもの頃からこの公園は見ているが、ここで遊んだことはないし、誰かが遊んでいるのを見たこともない。率直に言ってここでは遊びたくない。そういう陰鬱な空間作りとなっている。
子どもの頃はなんとなく近寄りがたかったが、いまはちがう。三角形空間の使い道として「とりあえず公園にでもしとくか」というその仕事ぶりにシンパシーを覚える。
この使いづらい空間をどう利用しているか。今回はそれを見ていきたいのです。