馬喰横山は“チョイワル地名”だ
馬喰横山(ばくろよこやま)である。JR総武線にも馬喰町(ばくろちょう)という駅名があるから全国的にもそこそこ知名度のある駅ではないだろうか。
さて、この駅を知ってる人も知らない人も、一度声に出して“ばくろよこやま”と読んでいただきたい。そのあとは字面を眺めてみよう。どうだろう? なかなかに気になる駅名ではないだろうか。だって、馬を食うと書くのだ。しかも「食う」のではなく「喰う」わけだ。荒々しい雰囲気を感じるのは僕だけではないはずだ。
漢字が荒々しいのかとひらがなに変換しても、“ばくろ”では“暴露”という言葉を想起するし、まあ無理やり言いくるめてしまえば『チョイワル地名』とでも言うべきだろうか。そんなところが愛すべきモテ地名である。
これは知人が話していたのだが、「横」という字にもチョイワルを感じる、という。横のつく熟語は荒々しいものばかりだからだという。「横取り」、「横槍」、「横しま」…確かに。調べてみると「横」には縦横の意味のほかにも、不正を表す意味もあるらしい(参考サイト)
しかし、僕のようなよそ者の人間がいくらああだこうだと言ったところで、地名には必ず由来があるのだ。当然馬喰横山にも駅の由来があるに違いない。今日は僕の勝手な妄想を辞める
ためにも、正式な馬喰横山の地名の由来を調べることにした。
ひとまず駅前を歩く
ともあれ、はじめて馬喰横山で降りた。せっかく降り立ったまだ降りたことのない駅だ。ひとまず駅をブラブラすることにした。初めて降りる駅って楽しいですよね。
馬喰横山は問屋街だった。都内でも最も問屋が集中するスポットのようで(僕は今回の取材まで知りませんでした。すみません。)近隣の日本橋馬喰町、日本橋横山町とも、さまざまなお店であふれている。中には業者専門のお店(一般客は入店できない)もあり、なかなかに興味深い。
史跡を発見。そこに地名を探る鍵が
そうこうしているうちに史跡を発見した。“郡代屋敷跡”と言って現在は交番の横の小さな緑地になっているが、その昔、この地には関東全域を支配する郡代(幕府直轄地の支配者)があり、税金の取立てや住民同士の訴訟なんかを管理していたという。簡単に言えば、関東全体を取り締まる県庁・都庁みたいなものがこの地にあったわけだ。
なぜこの地が関東全域を代表する土地にの選ばれたとかというと、時は戦国時代、徳川家康は関が原に出陣に必要な数百頭の馬を管理するため馬工郎(ばくろう)と呼ばれていた馬番を雇い、この地に住まわせたのだ。もともと日本橋に程近い場所にあるうえ、馬がたくさんおり交通の便が良かったため、周囲の農村から江戸に一時的にやってきた人々がこの地に集いたくさんの宿屋があったのだ。
時は流れ、交通の要所であることを理由に問屋街として発展したが、この地に最初に居ついた馬工郎(ばくろう)がなまって、馬喰町という町名になったらしい。
そんな馬喰町と、そして隣の横山町。これらの真ん中に地下鉄が通ったため、馬喰横山という地名が誕生したわけだ。なーんだ。そういうことだったのだ。チョイワルでも、荒々しくもなかった。長年つっかえていたものが取れた気分だ。 |