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フェティッシュの火曜日
 
海抜0mからの富士登山

廃道となった古道を今歩く

言わずと知れた日本の最高峰、富士山。 古くより信仰を集めてきた富士山は、現在年間30万人の登山客が訪れる山となった。

富士山には、かつて海から山頂まで向かう、村山道という登山道があったそうだ。 村山道は現在利用されているどの登山道よりも古い歴史を持ち、 長きに渡って富士登山のメインルートとして使われてきたという。 しかし、明治時代に廃道となり、そのまま忘れ去られてしまった。

歴史の中に埋もれていたその村山道が、近年復活を遂げたらしい。 これは面白そうだということで、 海から富士山を目指してみることにした。

100年前に途絶えた、いにしえの登山道をたどって。

木村 岳人



村山古道ルート図
書籍を参考にあらかじめ地図にルートを引いておいた

村山道とは

村山道の歴史は、なんと平安時代にまで遡るという。

富士山信仰の拠点として開かれた村山の修験者たちが、 富士山へ参拝するために開拓したのが始まりなんだそうだ。 その後、村山道は富士登山のメインルートとして数多くの人々を富士山山頂へと導いた。

しかしながら明治39年(1906年)、現在の富士スカイラインの元である 大宮新道が開通したことで村山道は廃れ、廃道となってしまった。

そして近年、富士山クラブの畠堀操八氏らによる 地道な現地調査によって、村山道は村山古道として現在に蘇った。

そのルートは、駿河湾を望む田子の浦からスタートし、 かつて東海道の宿場町であった吉原宿を抜け、 富士修験道の聖地である村山を経由して富士山山頂へ向かうというもの。

田子の浦から村山まではおおよそ20km。村山から富士山五合目までも20km。 富士山五合目から頂上までは5kmといったところか。 富士山五合目から頂上を目指す現在の富士登山道と比べて、 なんともまぁ、長い道のりだ。

なお、今回歩いたこのルートは、 前述の村山古道を復活させた畠堀操八氏の著書 「富士山村山古道を歩く」(風濤社)の記述に沿ったもの。 もし、もっと詳しく村山古道について知りたい場合は、この本をご参照あれ。


10:00−田子の浦はテトラポットの海だった

さて、それでは登山を開始しよう。

今回のスタート地点、それはもちろん田子の浦である。 浦、という名から砂浜を想像していたのだが、 私の目に映ったのは一面テトラポッドの海だった。

しかも海岸整備のためだろうか、やたら大きなトラックが目の前をひっきりなしに走っていく。 う〜ん、スタート地点としてはちょっとだけ残念な感じの雰囲気か。 でも、まぁ、現実とは得てしてそういうものだから仕方が無い。

天気もあまり良くなく、曇っているため目指すべき富士山も見えない。 何だか波乱を予感させるスタートとなった。


ものすごい風が吹くテトラポットの田子の浦 高度計の標高を5mにセットする

なお、今回この登山を行うに際し、ウェブマスターの林さんから高度計をお借りしてきた。 これで逐次、現在地の高度を計っていこうという寸法だ。

本当は高度0mに初期化したいところではあるが、 テトラポッドのせいで浜に下りることができない。 しょうがないので目算で高度を計り、とりあえず5mと入力しておいた。


田子の浦近くにある富士塚(富士山を模した築山) 周辺にはお地蔵様や小さなお堂、神社が多い

さてさて、田子の浦から少し北に行ったところには、 石でできた小さな山のようなものがある。 これは、かつて富士登山を始めようとした人々が、 田子の浦で禊を行った後、海岸の石を一つずつ積んでできた富士塚だそうだ。

私も海岸から拾ってきた石を一つ置き、登山の安全を祈願しておいた。 どうか無事に富士山まで行けますように。ナムナム。


懐かしい雰囲気の路地も見られる 巨大な煙突を持つ製紙工場も

 

10:50−左富士は姿をあらわさぬ

田子の浦から旧東海道に入り、そのまましばらく工場街を歩いて行く。 街の景色にも少々飽きてき始めたその頃に、 「左富士」と書かれた標識が目に止まった。

ここは名勝、左富士。 江戸から東海道を下ってきた旅人は、それまで道の右手側に富士山を望んで来るのだが、 道が緩やかに北東に蛇行するこの地において、 唯一、道の左側に富士山が見えるようになる、というのだが……


名勝「左富士」 ……って、左富士、どこ?

残念ながら、どこを見ても富士山の姿は無かった。 曇りだからというのもあるのだろうが、しかし、目の前にあるのはこの工場。 たとえ晴れていても、本当に富士山が見えるのだろうか?謎だ。

 

11:10−東海道の宿場町、吉原宿を通過

左富士を過ぎ、歩き始めてから一時間を過ぎた頃、 たどり着いたのがかつての東海道14番目の宿場町、吉原宿。 ここの標高は12m。まだ山を登っているという実感は全く無い。

現在、吉原宿はアーケードのかかる普通の商店街となっているが、 それでもなお商店で売っている味噌や漬物などが、 わずかながら宿場の風情を漂わせている……ような気がする。


今では普通の商店街となったかつての吉原宿 なんでこんなことになってしまったのか、という感じのお宅

吉原宿の商店街を過ぎてからは、しばらく道は住宅街の中。 途中、伸びすぎた朝顔に前面を支配された、 なんだかとんでもないことになっているお宅を横目に、地図に沿って歩いて行く。

そんな感じで30分。さすがに一時間半以上もぶっ通しで歩いていると、幾分疲れが出てくる。 とりあえず、ふと目に付いた神社で一休み。その神社の名は、富士六所浅間神社という。

浅間神社とは、富士山を祀る神社のこと。 浅間神社自体は富士山周辺や関東地方のあちらこちらにあるのだが、 しかしこの神社には少々妙な雰囲気が漂っていた。


一見すると普通の神社 巨大な火山弾があるのは富士山の麓ならではか
ん?!こ、これは、のび……?!しず……?! ……ピ、ピカ?!

なぜかは知らないが、この神社の境内にはアニメキャラクターの石像ばかり並んでいた。 しかも、なんだかディティールが怪しいものばかり。 脱力感を覚えつつ、私は再び歩き出す。

休むつもりがなんだか逆に疲れてしまった。 太陽は雲が隠してくれているが、それでも十分に暑い。 喉もカラカラだ。

あぁ、カラカラだ。


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