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ロマンの木曜日
 
いわし座流星群を見よう

ハレー彗星

というわけで、手作りの望遠鏡を持って、僕の住むマンションの屋上に上がった。
こんな風に天体観測をするのは小学校6年生の冬以来じゃないだろうか。
6年生の冬というのは1986年、ちょうどハレー彗星の大接近があった年だ。
僕はあの冬、ハレー彗星を見た。


三脚に据えるとすごくそれっぽくなった

 

大ちゃんのお父さん

小学校の同級生に大ちゃんという男の子がいた。
大ちゃんは社宅に住んでいて、お父さんはエンジニアだ。
僕の街には大きな工場があり、オイルショックのあとの不景気のせいで大規模な人員削減が行なわれ、たくさんの同級生たちが他の街へと転校して行った。
幼なじみがどんどんと引っ越してゆくなか、大ちゃんはずっとその工場の社宅に住んでいた。
一度大ちゃんに、そのうち君も引っ越してしまうのか聞いたことがある。
大ちゃんは「お父さんは普通の工場の人じゃなくってエンジニアだからだいじょうぶ。」と少し誇らしげに答えた。
エンジニアっていうのは偉いんだ、僕はそう思った。


たしかに見える

そんなエンジニアの大ちゃんのお父さんの趣味は天体観察だ。
大ちゃんの家には、ほかの友達が持っているような天体望遠鏡とはまるで違う、のぞくレンズが横に付いている、胴体がものすごく太い望遠鏡があった。
この太さが性能の違いなんだろうと僕は解釈した。

卒業式も近いある帰り道、大ちゃんからハレー彗星を見に行かないかと誘われた。
お父さんがあの望遠鏡で、僕たちにハレー彗星を見せてくれるというのだ。

テレビではハレー彗星大接近のニュースがさかんに流れていたけれど、僕の周りで実際に見た人はだれもいない。
それを見ることができるなんて、絶好のチャンスだ。
いま見逃せば、つぎは76年後。
1999年の恐怖の大王をなんとか切り抜けて生きていたとしても88歳のおじいちゃんだ。これが最後のハレー彗星かもしれない。
僕はもちろん行くよと答えて大ちゃんと別れた。

その日の夜、大ちゃんのお父さんから家に電話があった。
深夜に僕を連れだすことを確認する電話なのだろう。
話しが具体的になってきた。
どうやら僕は本当にハレー彗星が見られるようだ。


夜空を眺める

 

僕と大ちゃんと校庭で

真冬の真夜中、僕たちは重い望遠鏡をかついでハレー彗星を見に出かけた。
正確にいうと望遠鏡をかついでいたのは大ちゃんのお父さんで、三脚は大ちゃんがかついで、僕は付属品を運んだ。
僕が住んでいたのは北海道でも温暖な地域だったけれど、冬の夜は子供にとって耐え難いほど寒い。
三脚を組み立て、方位磁針と星座盤をたよりにお父さんは望遠鏡を合わせているが、なかなかハレー彗星に照準が合わないようだ。
僕と大ちゃんは寒さに震えながら、お父さんと望遠鏡を見守った。


いわし座流星群はどのあたりだろう

ハレー彗星を見に行くずっと前、大ちゃんの家に遊びに行った時のことだ。
その日、大ちゃんの家には誰もおらず、僕と大ちゃんの二人だけだった。
大ちゃんはこそこそと僕の耳に近づき、
「工藤くん、いいもの見せたげる。」
と、お父さんの机の引き出しをあけて雑誌を取りだした。
その雑誌は表紙も中身も全部英語で、金髪の女の人の裸の写真がたくさん載っていた。
そういうたぐいの写真は見たことがあったけれど、外国のは初めてだった。
その中の写真に、女の人の裸の胸に洗濯ばさみがいっぱい付いているのがあり、ぎょっとした。
なぜ洗濯ばさみで胸をはさんでいるのかが理解できなかったのと、その洗濯ばさみが色とりどりで、今まで見たことがない種類の洗濯ばさみであったのが、僕をぎょっとさせた。
外国にはこんな洗濯ばさみがあるのか。

その後大学生になって、初めて付きあった女の子とのデートで雑貨屋さんに行った時、あの洗濯ばさみとまるっきりおんなじ洗濯ばさみが売られているのを見つけた。
ちょっと悩んだけれど、それは買わなかった。


今夜は特別に寒い

 

見えたのはハレー彗星だろうか

大ちゃんのお父さんはまだ望遠鏡を調節している。
彗星というのは、ほかの恒星よりも動きが速い分だけ探すのがむずかしいのだというような説明を、洗濯ばさみの本を机の中に隠しているお父さんは僕たちにした。
しばらくして、ほんとうにしばらくして、お父さんは「これだよ」と僕たちに望遠鏡をのぞかせてくれた。
「このぼんやりとした光の束がハレー彗星だ。」
のぞいてみると確かに、ぼわんとした光が見えた。
でも、テレビで見たようなほうき星ではなかった。
「今日は条件が良くないから、尾ははっきりしないけど。」
洗濯ばさみのお父さんはそう言い訳した。


少し下りたくらいじゃゴールは見えず

 

寒いから

「どう、わかる?」
お父さんは何度も僕に聞いた。
僕にはよくわからなかった。
ハレー彗星というのはもっとハレー彗星っぽいものだと思っていたから、こんなぼわっとしたのを見せられて、これがハレー彗星だといわれても、僕はああそうなんだとは思えなかった。
けれども、
「はい、見えます。」
と僕は答えた。
寒いから。
もう我慢ができないくらいに寒かったから。
だから僕は、ハレー彗星が見えたと思うことにした。
これがハレー彗星だ、このぼわっとしたのがハレー彗星だ。
これから生涯、このぼわっとしたのをハレー彗星だ、僕はハレー彗星を確かに見たんだと信じて生きてゆこう。
そう思わせるくらい、冬の夜は寒かったのだ。

いわし座流星群は見えなかった

今日はいわし座流星群は見えなかった。
たぶんこの先も見えないだろう。
なぜなら、いわし座流星群は僕が考えた流星群だからだ。
科学的には存在が証明されていない流星群だ。

あの時に見たハレー彗星は、たぶんハレー彗星ではなかったんじゃないかな、といまは思っている。
確証はないけれど、楽しみにしていた僕たちを悲しませないために、大ちゃんのお父さんが作ったハレー彗星だったのではないだろうかと。
大ちゃんはそのあと、中学1年生の冬に転校して行った。
年賀状のやり取りは何度かしたけれど、大ちゃんとはそれきりだ。

そもそも今夜は曇り空なので、星は出ていなかった

 
 
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