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ひらめきの月曜日
 
畑越しの幕張新都心と祖父の思い出
祖父の家があった千葉市花見川区長作町。ここも幕張。


僕の母方の祖父の家は、千葉の幕張にあった。夏になると家族でよく幕張に帰省した。

幕張という町名は、首都圏にお住まいのかたなら知らない人は居ない地域、地方の人でもある程度の知名度のある場所じゃないかと思う。

皆が想像する幕張と言えば、幕張新都心と呼ばれる高層ビル群があって、幕張メッセという国際展示場があって、千葉マリンスタジアムがあってロッテの本拠地がある街だという認識だと思う。

でも、僕の祖父の住んでいる場所は、そんな幕張のイメージとはかけ離れた幕張だ。今日はそんな『もうひとつの幕張』を舞台にした祖父との思い出を記事にしたいと思う。

(text by 梅田カズヒコ



幕張基礎知識-1

幕張と名の付くJRの駅は3つある。京葉線の『海浜幕張駅』、総武線の『幕張本郷駅』、『幕張駅』だ。僕の祖父の家の最寄駅はは幕張駅だ。それぞれの位置関係はこんな感じ。


駅が開業した時期はそれぞれ以下の通り。

1.幕張駅   1894年
2.幕張本郷駅 1981年
3.海浜幕張駅 1986年

これを見れば幕張の中心が幕張駅だということは一目瞭然だろう。残りの2駅は1980年代に入ってようやく誕生したのに対し、幕張駅は100年以上の歴史を誇る駅だ。『本郷』とか『海浜』とかいう冠詞も必要なく、ストレートに『幕張』と名乗っているのも幕張駅が中心駅たる所以である。

しかし、駅の利用者数を比べるとこうなる。

1.海浜幕張駅 49,561人
2.幕張本郷駅 25,815人
3.幕張駅   15,268人
(2006年度の乗車人員数/JR東日本調べ)

一番新しい海浜幕張駅は急速に発展した幕張新都心の最寄駅なので、他を圧倒する1位だというのもうなずける。しかし、我が幕張駅は隣の20年前に開業した幕張本郷駅にも抜かれて最も利用者の少ない駅だ。子供心に地味な駅だとは思っていたが、こうやっていざ数字を眺めると、周辺の駅に追い越されていったのが如実に分かる。

そんな幕張駅を降りると真っ先に目に付くのがこういった注意書きだ。


運転免許センターと社会保険事務所は幕張本郷駅下車です。


幕張メッセ・自動車運転所は幕張本郷駅からバスをご利用ください。

幕張の大きな施設に用がある人が間違って幕張駅で降りるのだろう。駅には再三にわたり『○○には幕張本郷駅をご利用ください』『○○へは海浜幕張駅が便利です』といった注意書きが見られる。

なんというか、幕張駅はハズレの駅みたいな物言いだ。

今日はそんな地味な幕張駅周辺を祖父の思い出とともに紹介したいと思う。


幕張駅北口の駅前。総武線の駅の中ではどう見たって地味。

10年近く帰っていないが、変化したのは『SHOP99』が出来たことぐらい

幕張駅の思い出

駅の利用者の数字が物語っているが、幕張駅の駅前は地味だ。左の写真のように、駅前からもはや雑然とした雰囲気が広がっている。幕張=幕張新都心だと思って下車した人を脱力させるに充分な光景だ。せめて商店街でもあったらなー、と母はぼやいていた。歴史ある駅なのに快速停車駅としても漏れてしまって(※1)、その間に新しい駅は出来るし(※2)、どんどん不便になっていく、ともぼやいていた。

大人はみんな幕張駅の不便さについて愚痴を漏らしていたが、僕は心の中ではそんな幕張駅が大好きだった。なんていうか、田舎に帰省した! という雰囲気が味わえるからだった。

※1 幕張駅は現在総武線の快速電車が止まる『新小岩(1926年開業)』、『津田沼(1895年開業)』、『稲毛(1899年開業)』より古い。
※2 母が通勤で利用していた頃、東京-幕張間に『東船橋駅(1981年開業)』、『幕張本郷駅(1981年開業)』が開業し、東京への駅数が増えていった。

 

そんな幕張にも変化が

長らく帰省していなかったが、帰省したら駅前にSHOP99が出来ていた。どんな駅にだって変化があるように、幕張駅にも変化はあるのだ。でも、一番の変化がSHOP99のオープンと言うのが幕張駅っぽくていい。すでに開業している地元のスーパーとコンビニのスリーエフの牙城を崩す幕張駅北口の第三勢力としてSHOP99には頑張ってもらいたい。

 

これが幕張駅のバス乗り場
これが長作町に向かうバス乗り場。
かつての開かずの踏切は立派な地下道になっていた。

幕張駅のバス乗り場と開かずの踏み切り

祖父の家には幕張駅からバスで向かう。このバス乗り場がまた味のあるバス乗り場なのだ。左の写真がそうだ。首都圏のJRの駅前と言えば、どこも立派なバスターミナルがあるのに、幕張はこれである。このバス乗り場は僕にとっては特別な郷愁を思い出す場所である。

夏休みの帰省シーズンに訪れるので、このバスターミナルと夏の匂いは今も強烈に焼きついている。

礼儀作法にうるさい祖父は僕が挨拶をしないと僕と母を呼び出し説教した。母はそれがわかっているからこのターミナルに着いた頃には『一彦、ちゃんとおじいちゃんの前で挨拶するのよ』と何度も僕に言い聞かせるのだった。時には予行練習もした。そのため、このバス乗り場に着くときは母も僕も少し緊張した。

そんな思い出を元にぱしゃぱしゃシャッターを切っていたらバス乗り場で待っている人がこちらを不思議そうに眺めていた。確かに写真に収めるようなものでもなんでもない普通のバス乗り場でシャッターを切っているのは少し変わってますね。

開かずの踏切とそれに翻弄されたバス会社の話

幕張駅の西口には有名な開かずの踏切があった。この踏切、上下の総武線(快速・普通とも)、そして京成電鉄を合わせた踏切だったので、とにかく開かなかった。30分ぐらい開かなかったこともざらである。母がこの駅から東京に通勤していた頃、駅の改札が南側にしかなくて、通勤のためには必ずこの踏切を越えなければいけなかったが、踏切が開かずに遅刻したことも何度となくあったという。

『幕張 開かずの踏み切り』
のGoogle検索結果が2,000件を越えていることからも、その踏切の開かず具合が周囲にとどろいていたことがうかがえる。

この開かずの踏切と地元のバスを巡っては、ちょっと面白い話がある。幕張駅の北側を走る東洋バスの路線が、海側に新たに誕生した海浜幕張駅を結ぶ路線を新設することになった。ところがその場合、どうしても開かずの踏切を渡らなければならず、バスを定時運行させるのが困難になってしまう。そこで東洋バスがとった方法は、近くを走るインターチェンジから高速道路に乗り入れ、反対側に渡ったら高速を下り、再び駅に向かうという苦肉の作のウルトラCだった。海浜幕張駅行きのバスを運行したかった東洋バスと開かずの踏み切りのせめぎあいはこのあたりが詳しいので、バスマニアは一読していただきたい。
「高速」バス―幕張本郷名所案内
千葉シーサイドバス―Wikipedia(←沿革の項に出てくる)

そんな開かずの踏切は解消されていた。便利になって何よりだが、高速道路を走るローカルバスが無くなってしまって少し残念ではある。

 

バスマニアにとってはもう1つの楽しみがあります

祖父の家は幕張駅からバスで長作町という場所に行くのだが、ここの路線がこんな狭いところをバスが通行するのか、という区間なので、ぜひ一度見物してほしい。


おいおい、こんな狭い道で対抗車かい?


ぶつかる、ぶつかるよー。


おぉ、ギリギリだ。

ちょっと雨なので分かりづらいが、この迫力をご理解いただけただろうか。動画にも挑戦しましたので、こちらも見てやってください。



道幅の狭さとカーブの多さと坂道の多さで運転士はさぞ大変だと思う。僕は子どもの頃大人になったらバスの運転士になりたいと思っていた時期があったが、このバスに乗るたびにその夢は失せてしまった。あれから20年、数々の路線バスに乗ったが、ここを越える狭い道を走るバスには出会っていない。

次ページはいよいよ畑越しに見える新都心を解説、そして祖父の思い出も佳境に。


 

 
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