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ひらめきの月曜日
 
船橋にある謎の円形道路を追って

 

円の中心に行けば何かわかるかも。

というわけで、円をぐるっと回る道は以上で終わりだ。結局、この道がなぜ円を描いているのか、その手がかりはなかった。このまま終わってもちょっとどうかなーと思っているとき、ある予感がした。そう、この巨大な円の中心には何があるのだろう。何かあるかもしれない。そんなわけで中心に来た。あったのはこれだ。


中心にあったのはこれまた何の変哲もないエーコープ。

円の中心にはAコープがあった。菓子パンが60円セールをやっていた。安かった。


安い。

安いから買った。棒付きフランクパン。

しかし、まったく円形だということの解決にはなっていない。と、その時である。何やら不思議なモニュメントを見つけた。


そばの公園に変なモニュメント。

そばによると、船橋無線塔記念碑という記念碑があった。
どうも、この辺一帯は無線塔の名残として、このような形状になっているらしかった。この記念碑によると以下のことが書いてあった。

船橋無線塔記念碑に書いてあったこと。
・ ここにはかつて無線塔がそびえていた。
・ 大正4年(1915年)、船橋海軍無線電信所と呼ばれる場所ができた。
・ 大正5年にはハワイ中継でウィルソン大統領と大正天皇とで電波の交信が行われた。
・ これをきっかけに“フナバシ”の地名は世界地図にも書き込まれた。
・ 関東大震災では救援電波を出して、被災者を助けた。
・ 昭和16年には長短波用の大アンテナが完成。
・ 太平洋戦争時には真珠湾への突撃命令が発信された。
・ 昭和46年、解体される。以降はこの地は宅地化された。

ということだ。箇条書きで駆け足で説明したがご理解いただけたであろうか。僕は少しだけ腑に落ちた気がした。


にゃるほどねー。

 

船橋市郷土資料館

船橋市郷土資料館へ

無線基地の跡地なので丸い、というのは分かったが、何というかそれでも腑に落ちない気がするのが心情であった。何かもう少し手がかりはないものか。
そこで西船橋まで戻って一路津田沼へ。船橋市郷土資料館という場所にやってきた。
ここなら何かわかるかもしれない。
係の人に聞いたら当時のことはなかなか資料が残っていないが、地形図ならあると言われた。さっそく拝見させてもらう。

 


かつての船橋市街地の模式図。円形部をよけるように開発がおこなわれている。
郷土資料館で地形図を見せてもらう

 

郷土資料館で見つけた地形図


大正5年(船橋海軍無線電信所設立当時。)
→この時期にすでに円形であった。

昭和45年(すでに跡地となっていた。周囲は畑になっている)
周囲の開発が進む。この時点で隣に中山競馬場がある。

平成5年
武蔵野線もでき、現在とほぼ同じ形状になった。

 

当時の無線塔の写真を見せてもらう

最後に当時の無線塔の写真を見せてもらった。


絵はがき −写真に残された明治〜大正〜昭和−』船橋市郷土資料館編 より

結局、上の写真に写っている電波塔が無線電波を飛ばすために、周囲数百メートル何もない、という円形の土地が必要だったというのが真相だろう。

船橋市郷土資料館の皆様、ありがとうございました。

 

この円形の道路は住民に愛されているようで、略地図には丸い道路がよく登場する。

 

大胆に土地を使えた当時の日本がうらやましい

船橋は人口60万人近い大都市である。現在、市内のどこを探したって、何もない場所なんて存在しない。でも、この施設ができたころは、この周囲には何もなくて、何もない白紙のキャンバスのてきとうな場所に円を描く要領で、この施設を作ったのだと思う。
六本木ヒルズやミッドタウンが大規模な再開発だからと言って、この無線塔のような大胆な土地の使い方はできない。現在の大規模な再開発は、何かの跡地を借用してせせこましく土地を転がしているにすぎない。
こんなに大胆に土地が使えた当時の日本がうらやましい気がした。
いっそ宇宙旅行に行って、火星に大きな円でも描いてくるか。

 



 
 
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