「若い時は暴走族にも入ってたんで、周りは結構入れてたし僕も入れたかったんですよ。でも僕は親父がむちゃくちゃうるさくて、亡くなるまで入れらんなかったんです。それも27、8の時に途中までやって、また30過ぎて繋げて‥完成したのは36の時ですね」
−−当時は今みたいにワンポイントからやれるタトゥーじゃなくて、面積も広い和彫りですよね。
「当時は入れてたら絶対ヤクザもんだろ、って世界でしたね。刺青って鎖国解かれて以降、外国人が野蛮に思うってんで国が禁止令出してたんです。だからしばらくは裏の人間がこそこそ入れるもんだったんです」
−−明治大正期はまさに裏業界の人間しかやらないようなもんだった、と。
「それ以前は職人さんや火消し、あと若旦那なんかにしても『粋』として入れてたんです。ヤクザもんがいれるって感覚じゃないですからね」
−−刺青イコール怖い人、というのは禁止時期のイメージを引きずってる部分もあるんですね。
「でも御法度にしたものの、実際は外国の方が刺青は一般的だったんですよ。当時日本の刺青技術は世界一とも言われたので、わざわざ彫りに来る外国人も多かったらしいですからね」
−−海外の評価の方が高かったんですね。
「まぁ、僕らの若いころは仲間同士で競い合ってた部分はありますよね。はっきり言って痛いもんじゃないですか、金もかかるし。江戸時代の人からすると贅沢品ですからね」
−−ある意味、若い仲間同士の見栄の張り合いみたいな。
「そうそう。ただ僕の場合は神輿担いだりして江戸文化が好きだったのもあって入れたんです。だから勉強もしましたし。やっぱり自分が入れるのがどういうものか知らないとね。自分のは鯉と鬼若丸なんですけど、鯉は『滝登りすると龍になる』って言い伝えがあって、あと鬼若丸はのちの弁慶。どちらも出世の縁起ものなんですよ。周りが龍ばっかりだったから、じゃあ俺は鯉だ!ってのもあったんだけど(笑)」
−−意味が分かると愛着も増しますしね。
「だから今の若いモンはガイコツとか入れたりするけど、本当は良くないんです。縁起のよくないものを一生背負うわけだから」 |