何か軽いもの、と頼んでみた
「綾」の中にお客さんはいなかった。カウンターから和服姿のママが顔を出したので、「まだ大丈夫ですか?」と聞くと、笑顔で「全然大丈夫ですよ」と答えてくれた。ホームページに書いてあった事は本当だ。ママとのファーストコンタクトでそう確信した。
カウンターに座って、まずはビールを注文する。
ビールを注文すると瓶ビールと柿の種とおかきが出て来た。
この柿の種とおかきは「何か軽いもの」ではない。席に着くと自動的に出てくるお通しである。
ママは「こんなに若い人が来るのは珍しいわ」と言っている。実はそれほど若くはないが、一応「いやぁ、スナックが好きで」と答えておいた。印象を良くしておかないと、「何か軽いもの」と頼みづらくなる。
グラスビールに口をつけて、一息ついてから「何か軽いものを」と声をかける事にした。初めて来るお店なのに通ぶってるようで恥ずかしいが、やってみよう。
「えっと、何か軽いものもらえますか?」
ママは少し驚いたような顔をして「軽いもの?」と聞き返してきた。 池中玄太は今から28年も前のドラマである。もう「軽いもの」なんて言わないのかもしれない。
しばし沈黙があった後、ママが言った。
「マスターが帰っちゃったから…、でも、何か軽いものつくるわね」
出ました。「何か軽いものつくるわね」。 スナックのカウンターでこの言葉を聞きたかったのだ。
ママはカウンターの端の方で、トントントントンと野菜を切り始めた。 「何か軽いもの」には野菜が入るらしい。
野菜を切り終えると、のれんの向こう側で野菜を炒め始めるママ。 野菜炒めだ。そんな匂いもしてきている。
そうか、スナックの「何か軽いもの」は野菜炒めなのか。 と、僕の中で「何か軽いもの=野菜炒め」という図式が確定したその時!
ママが出来上がった「何か軽いもの」を持って来た。
それは…、
なんと僕の大好物、焼きそばだった。
何て気の利く「何か軽いもの」だろう。あまりの嬉しさに「何か軽いもの」を一気にかきこんだ。
うまい。実家で食べる焼きそばにそっくりだ。まだ実家で生活していた頃、日曜日のお昼に母親が作ってくれたあの焼きそばだ。
この時間になるまで夕飯を食べていなかったので、尚更うまい。
あっという間に「何か軽いもの」を完食してしまった。
「お腹空いてたのねぇ」
とママに言われ、一気に恥ずかしくなってしまったが、とにかくこれで目的は達成だ。
せっかくなのでカラオケでもしよう。