成長著しいモヤ氏
見事に緑化を果たし、新天地へと引っ越したモヤシ。2本のうち1本は、成長度合いの差を比べるために湯呑の中に残しておいた。
大人の雰囲気をかもしだすモヤシ。
少しだけ上に引き抜いてみると、寒天につけておいた部分のブヨブヨさと、その上の部分のゲッソリ感の差がすごい。大人ならではの不健康さも身につけている。モヤジと呼んでもいいかもしれない。
この様子、前ページの寒天へ移植している最中の写真と見比べてもらえればわかると思うが、首の部分がぐっと起き上がり、曲がっていた身体がまっすぐになりはじめている。寒天で固定した効果がでているのだ。
……さて、寒天への移植は無事成功し、モヤシは育っている。育ってはいるのだが、隠していることもある。ここは正直にいわねばなるまい。
はっきりいって湯呑に放っておいたほうが、よっぽど順調に大きくなっている。寄りかかって斜めになっているため、曲がって成長してしまっているが、まあ葉っぱの大きさといい開き具合といい、立派なものである。
こうして比べてみると、「とほほ」と呟きたくなるような結果である。モヤシを育てるためにいろいろ試した挙句、ただ水につけてるのがとりあえず一番だったのだ。葉っぱだけでなく、根も生長してきているのがわかる。
寒天に植えかえたほうも根がではじめてはいるのだが、いかんせんケタが違う。 ここに寒天メソッドの完全なる敗北を宣言するものです。
買ってきたモヤシを育てたいのなら水につけておくだけでいい。結論はそれだ。だが、どうしてもこの曲がった身体をまっすぐ伸ばしてあげたい。寒天を頭から消して考えたら、スマートな案を思いついた。
水耕栽培っぽい。なぜこの方法を最初に思いつけなかったのか。こうしておいて定期的に水をかえてやればいいのだ。
思えば試すまえから考えすぎて、勝手に問題を難しくしていたようだ。試してみたら簡単な話だった。そういうことは日常生活でもよくある気がする。 「世の中は難しい」 そんなことを呟く人がいるけれど、生きるのを難しくしているのは、ぼくら自身なんじゃないかなあ。
みつを
いやいや、みつをじゃない、みつをじゃない。
そんなわけで、スーパーで買ってきたモヤシは1本だけ食べられずに(枯らされたりもせずに)、コップの中で今日もゆっくりとした成長をつづけている。どのくらいまで育つものかわからないが、とりあえず今は、コップの水に少しだけ豆乳を入れてみたい衝動と闘っている。