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フェティッシュの火曜日
 
東洋医学で身体能力は向上するか

適度な運動で脳が活性化


走りはじめました

いざ走り出すと数分で疲れてくる。
普段まったく運動をしないためだ。会社に通っていた頃は、自転車通勤だったが、それも2〜3キロの話。今回のようにキチンとした運動をするのは、高校の体育の授業以来6年ぶりだ。こんなにも体力がなくなっているかと自分でも驚く。すぐに疲れるのだ。でも、そのおかげで、よりくだらないダジャレには期待が持てる。


もう疲れています
この企画を悔いています

たかが2キロくらい休憩せずとも走れると多くの人は思うだろう。僕もそう思っていた。ただ、実際に走り始めるとものすごくキツい。しかも、日ごろの運動不足のためか吐き気までするのだ。

そういえば、数年前、女性と二人で食事に行った帰りに、公園で鬼ごっこをしたことがあった。水銀灯が照らす夜の公園で始まった鬼ごっこは開始して2〜3分後、追いかけられていた僕があまりのキツさに吐いて終了した。彼女は呼吸すら乱れていなかった。いろいろな意味で甘酸っぱい思い出だ。
そして、このことからも僕が運動に向いていないことがうかがえる。とにかくすぐに疲れてしまうのだ。


1キロくらい走ったところで休憩

1キロくらいしか走っていないが、あまりにきついので、休憩することにした。 呼吸を整えようとベンチに座ると、目の前を鳩が通り過ぎていった。その時、疲れた状態での1つ目のダジャレが自然と出てきた。


■ダジャレ■
ハートを奪われハッとしたことはとりあえず秘密だ

■解説■
鳩を三つも使った高度なダジャレだ。
その根拠としては、特に三つ目の「はと」は活字でないとわかりにくいという点。単純に「音」だけで考えたていてはこのダジャレは出てこないはずだ。適度な運動は脳を活性化させるそうだから、こんなにすばらしいダジャレが出てきたのだろう。

■判定■
むしろ面白いと思う(自画自賛で申し訳ない)

 

ついにくだらないダジャレ。そして失笑へ…

走り始めて最初のダジャレは、個人的には「くだらない」から程遠いものだった。いや、もちろんくだらないけど、ダジャレとしては面白いのではないかと。
そして、今回はよりくだらないダジャレを言うのが目的なので、運動不足の体に鞭打って引き続き走る。


また走り出す

人が疲れてダジャレを言うのは、先にも書いたように言葉を「意味」でなく「音」でしか捉えなくなるから。そこで、鳩のようにダジャレの題材となるものがない時は、友達の宮島君と話しながらダジャレを導くことにした。


自転車で伴走しているので疲れていない宮島君

自転車で走る宮島君を横目に見ながら僕は自分の足で走る。
駒沢公園はランニングコースがしっかりと整備されているので、多くの人が走っている。ある人は健康のため、またある人はダイエットのためなど、走る理由は様々だろう。
そして、僕の走る目的は「くだらないダジャレ」を言うためだ。ダジャレもくだらないが、走る目的自体もくだらない気がする。


歩くようなスピードで1周(2キロ)を完走
立っていられないほどキツい

とりあえず1周を完走した。
すさまじい疲れで、すぐに近くの芝生に横になってしまった。すると宮島君が「たった2キロでそんなに疲れるか」とあきれながら声をかけてきた。そこで、ダジャレが生まれる。


■ダジャレ■
ヒーローだって疲労を感じるよ

■解説■
ヒーローと疲労(ひろう)のダジャレ。
さすがに疲れてきており、なんのひねりもなく単純に耳から入ってきた「音」で作られたダジャレになっている。また、僕は別にヒーローではない。そこからも、完全に疲れていることがうかがえる。

■判定■
くだらないダジャレだと思う。宮島君は失笑していた。


宮島君とは友達になって今年で6年になる。
一番気が合う友達だと思っている。昔、僕が失恋した(先に書いた鬼ごっこをした女性にフラれた)とき、宮島君と鎌倉に失恋旅行に行ったこともある。二人で海を見た。とても青かった。
そんな仲のいい友達が、僕の「ヒーローだって疲労を感じるよ」のダジャレに「あ……、うん、ね」と、どうしていいか分からない感じの笑いを浮かべていた。このダジャレがくだらない証拠だと思う。

 

ダジャレを言う人は古風で高貴な人


引き続きくだらないダジャレを求めて走る

僕が走っている間にダジャレの話を。
たとえば、小倉百人一首の小野小町の歌「花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに」にもダジャレは入っている。

「ながめせしまに」の部分に「長雨の間に」と「眺めている間に」の2つの意味がある。
「きょうふのみそしる」に「今日、麩の味噌汁」と「恐怖の味噌汁」の2つの意味があるのと同じだと思う。掛詞といえば聞こえはいいが、結局は音が似ているだけなのだから、ダジャレなわけだ。

しかし、この歌は小倉百人一首に選ばれるくらい素晴らしいという評価を受けている。そこで、今後はダジャレを言う人がいたら「古風な人」というプラスの評価をしてみてはどうだろうか。
「もしかして、小野小町の生まれ変わり」的な。するとダジャレを言う人を高貴な人のように思え、ダジャレをくだらないと感じなくなるかもしれないと思う。


古風な僕が走ってます
そして、高貴な僕は完全に疲れています

まだ2周目だけど、ここ数年でもっとも疲れている。
企画段階では、1周走ることにひとつダジャレを言おうと考えていたのだけど、1周目からそのプランは崩れた。2キロも通して走れないし、何個もダジャレを言うつもりだったから何周も走らないとないといけなくなる。絶対に無理だ。体力のなさに本当に驚く。


もうすぐ4キロ地点という場所で休憩

ベンチがあったので休憩することにした。
とても疲れている。息が上がりフラフラする。僕は動物が怖いので、本当は犬がいるようなところには近づきたくもないのだけど今回は別。疲れすぎてそんなこと関係なかった。そして、ダジャレが生まれる。


■ダジャレ■
居ぬ

■解説■
犬と存在しないという意味である居ぬがダジャレ。
このダジャレは宮島君が「犬がいるな」というのを受けて発したダジャレだ。疲れているようで、会話としては成り立っていない。また実際には犬はいる。しかも、結構沢山いる。

■判定■
怒りを覚えるレベルのくだらなさ。宮島君は遠い目をしていた。


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