「もういいや」という境地を求めて
マトリョーシカを探していろいろ調べてみたところ、ずばり「マトリョーシカ」という名前のレストランがあることがわかった。
ロシア料理のお店であるマトリョーシカ。店の名前にするくらいだから、きっとすごいマトリョーシカがあるのではないか。中をのぞいてみると、おお、ずらっと並んでいるのが見えるぞ。
ちょうど夕食時でおなかも空いている。入ってみよう。
ものすごい人数が揃ったマトリョーシカが飾ってある。数えてみると……18人も並んでいるではないか。ここまで多くの揃いになっているマトリョーシカは初めて見た。
では、だんだんダメになっていっているかどうか確かめてみよう。
場所の関係もあってこれくらいの写真を撮るのが限界だったのだが、一番小さい物でも1cmくらいあるそれは、あんまりダメじゃない。割としっかり装飾が描かれている。
マトリョーシカというものがどれくらいの値段で売られているか調べてみるとわかるのだが、これだけの人数が揃っているのは相当な高級品。やはり最後まで投げ出さずに仕事が施されている。
それは基本的によいことだと思う。ただ、今回の場合は残念に感じるのは否めない。投げ出したっていいじゃないか、あきらめるって悪いことじゃない。私はマトリョーシカを見て、そういう気持ちになりたい。
今回の記事を書くにあたり、デイリーポータルZ編集部のみなさんにも声をかけてマトリョーシカをお借りした。意外と家に転がっていたりするマトリョーシカ。まずは古賀さんが貸してくれたものを見てみよう。
古賀さん曰く、「本当に床に転がっていた」というマトリョーシカ。踏んづけられたりすることなく、つやつやとしていて元気そうだ。1人目のマトリョーシカは15cmほどで、装飾もしっかり描かれている。どんな風に展開していくだろうか。
次女は長女と同様の描かれ方。三女からは瞳の描き方が簡略化され、四女からは頬紅と口紅がなくなって素朴な味わいになる。
ただ、それはあきらめや手抜きではないように見える。大人の女性から子供へと、成長の階段を逆順に表現しているようでもある。では、五女から繰り出てくる末娘はどうだろうか。
一番小さいとは言え、それでも3cmほどある末娘。芯がしっかりしてそうな表情をしている。
描写にもなげやり感はなく、最後までしっかり仕事がなされている。じっと見ていると、「一番小さいからってバカにしないで」と言いたげであるような気がしてきた。
いい品物だと思う。ただ、もっと肩の力を抜いてもいいとも思うのだ。
もう一つ、同じく編集部の安藤さんからお借りしたマトリョーシカを見てみよう。一体目はお母さん風情漂うこのマトリョーシカ。中から出てくるのはお母さんによく似た顔の子供たちだ。
シンプルな装飾だが、それはあきらめではなく、意図的なデザインだと思う。このマトリョーシカは4体揃いなので、この後出てくるのが最終形態だ。
表情は一気に簡略化。目と口は、ポチポチポチと点がついているだけだ。
これはどうだろう。あきらめや投げやりに感じられなくもないが、確信には至らない。大きさは4cmほど、描画的に限界のある大きさではない。ということは、意図的だろうか。
家族をモチーフにしたと思われるこのひと揃い。これが赤ん坊だとすると、よい味わいに見えてくる。
ダメだ、ちっともダメじゃない。私はもっともっとダメなマトリョーシカが見たいんだ。