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ひらめきの月曜日
 
「東京道」というバス停の謎

はっきりしない

具体的にここからここまでという範囲を指定した情報が得られたが、まだ「諸説ある」という感じだ。
さらに通りかかった何人かに話を聞いてみたが
・聞いたことがない
・バス通りが東京道
・聞いたことはあるがどこが東京道か知らない
という回答で、どうにも明確な答えが出ない。


諸説あってはっきりしない

もう少し広範囲を捜索

いままではバス停のある交差点付近ばかりを調べていたので、もう少しはなれたところまで範囲を広げてみた。
先ほどの情報「六角地蔵までが東京道」の説を裏付けるため、その通りを歩いた。
しかし、東京道という表示もなく、歩いている人からの情報もまったく得られなかった。



左がひばりヶ丘団地
信濃路という食堂ならあった

団地の中の図書館へ

いくら歩いても確信できる情報が得られないため、隣接するひばりヶ丘団地の中にある図書館で、なにか参考になる本はないか聞いてみることにした。
しかし、ここでも情報は得られなかった。
この地域の昭和初期からの写真を集めた本を見せてもらったが、東京道のヒントになる記述はなかった。
東久留米の歴史に関する書籍は、市の中央図書館にあるとのことなので、そこに行けば何かわかるかもしれないというアドバイスをもらって、図書館を後にした。


団地の図書館にも情報はなかった

どうでもいいが、かっこいい団地だ


偶然歴史に詳しい方に出会う

中央図書館は、ここから数キロ離れているのだが、バスの路線はなくタクシーも通らないので、徒歩で向かうことにした。
団地を出て、また東京道バス停前を通り過ぎたところバスを待っているおばあさんがいたので話を聞いた。
そこで、東京道の秘密に迫る情報を教えていただくことができた。
その方によると、「東京道」というのは、このあたりの地名で、廃藩置県のころの地図に地名が記載されていたとのことだ。
なんでもこの方は、市の歴史研究をする勉強会に参加しているそうで、ここに「東京道」というバス停があるのが不思議で、調べたことがあるというのだ。
「僕も不思議に思って調べに来たんです」というとすっかり意気投合し、おばあちゃんはバスを1本見送って話をしてくれた。


東京道は道の名前ではなく地名だった


中央図書館で調査

おばあちゃんに教えてもらった情報を元に、東久留米中央図書館の司書の方に、関係しそうな本を探してもらった。
ぐいぐいと「東京道」の秘密に近づいている感じがする。
外で調べ物をしていると、答えの手がかりが見つかりそうな瞬間がとても楽しい。


中央図書館で歴史の資料を閲覧

明治七年地引絵図

東久留米郷土研究会会誌第七号に、明治7年に製作された地引絵図という、地租改正のときに作られた地図を元に調査した、東久留米の地名が記載されていた。
そこには確かに「東京道」という地名が記されている。
現在の東京道バス停よりもやや西のあたりに、東京道と記載されており、周辺には「秩父道」や「田無道」(田無は現在の西東京市で、東久留米に隣接する市)、「江戸道」という地名が見られた。


この辺が東京道らしい

江戸が東京になったばかりの頃

東京道という地名の由来は、東京へ向かう道に隣接していることから来ているらしいが、当時の地図を見ても、その道がたとえば東海道とか中仙道のように、まっすぐに東京へと向かう道ではなく、「この道を行くと東京のほうへつながっているよ」という程度のニュアンスだったようだ。
現在のバス停近くに「江戸道」という地名があって、「東京道とも」と記載されていた。
想像だが、こちらの地名がバス停の名称にになったのかもしれない。

江戸道という地名と東京道という地名が混在しているあたりに、当時の江戸から東京への移り変わりの様子がうかがえる気がした。


そのころもこの川が流れていただろうか

今でも残っている

地元の人たちの間に「東京道」という呼び方が残っているのは確認できたが、どの道を指すのか人それぞれだったことから、もうすぐ消えてしまいそうな地名なのかもしれないなと感じた。

おそらく、東京道のようにその地域に古くから住んでいる人にしか使われていない地名を冠しているバス停が、日本全国に存在しているのではないだろうか。
地名というのは不変なように思いがちだが、実際は想像よりも短い時間で変化してしまうのかもしれないと思った。



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