ただ漫然として日々を過ごしていても何も手にはできまい。それはわかっている。有能な人間は常に身の回りに神経のアンテナをはりめぐらせているのだという。そうすることで、いろいろなものが自分のところへ飛び込んでくるのだ。 だが、常に意識のアンテナを立てているというのは、なかなかしんどかろう。漫然と暮らしていながらも、いろいろなものが向こうから飛び込んでくるような方法はないものだろうか。 そう考えた結果、頭に網をつけて過ごしてみることにした。
(櫻田 智也)
書を捨てよ、町へ出よう(網つけて)
この写真をみていただければ、もはやこれ以上の説明は不要なんだぞこのやろう。
というわけで、この恰好で散歩でもしたら、とくに意識して探さずとも今まで見過ごしていたもの(主に虫など)が、勝手に網の中に入ってくるだろうと考えたのだ。
さて外に出てみたものの、この特注ヘルメットをかぶって堂々と散歩というのは、なかなかに容易ではない。
まあでもこれまでの経験上、冷たい水につかるのと同じで思いきって一度やってしまえば、あとはどうってことないものなのだ。
みなぎる緊張感。
さて、人目をはばかりつつ町内を散策してみたものの、
結果として、
思わずインチキ関西弁がでてしまうくらい何もつかまらない。経過も含めて特記事項なしである。 折りしも季節は冬。ハエ一匹飛んでいない。枯葉すら舞いきってしまっている。
あまりに行き当たりばったりの企画だったか。いや、考えてみればこれまでも行き当たりばったりだった。でも強引になんとかしてきたのだ。 「捏造か」 良からぬ考えが頭をよぎる。いかんいかん、捏造のおかげで考古学はその歩みを10年間とめたのだ。
だがどうしよう。
思えばぼくの記事はいつだってグダグダではなかったか。なにが良くなかったのか。まあ全体的に万遍なく良くなかったわけだが。
師走の忙しさを言い訳にするつもりはないが、今回もまた、こんな形で終わらねばならないのだろうか。2009年も総括に入ろうというこの時期に。世間の風当たりまで身にしみるというこの季節に。
ぼくはベンチに腰かけ、必死こいて記事の構想を練り直していた。