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ちしきの金曜日
 
おれ奥の細道

「木枯らしが 枯れ葉をどかす 山道ひとり」


句は心を表す

切り通しの急な斜面には、近代になってから階段が作られていることが多いのだが、この時期、落ち葉でそれが見えなくなっているのだ。

その枯れ葉を、いままで敵だと思っていた木枯らしが散らして行く手を開いてくれる。昨日の敵は今日の友。なんだかいいこと言ってる俳句ではないか。

自分の中でも自信作なので現場で録音した音声ファイルも公開しておく。


「枯れ草を 踏む足音が 他人みたい」

「苔むして 触れる者なし 山道ぽつり」

下山してから俳句を読み返すと、山深く入り込んでいくにつれ不安が増していく様子が手に取るようにわかる。

この行く手を阻む石(というか岩)は落ちてきたのか最初からあったのか。


「この岩は 落ちてきたのか 生えたのか」

人の気配をまったく感じないのは心細いが、逆にこういう状況で先人の痕跡を見つけるとありもしない妄想を抱いてしまうこともある。

それを詠んだのが次の句だ。岩のくぼみにならんで置かれたドングリを見て詠んだ句である。


「どんぐりが いくつか並ぶと 呪いみたい」

今写真を見ていてもどこにも呪われそうな要素は感じられないわけだが、現場では確かに恐ろしかったのだろう。僕がここを通ることを前もって知っていた誰かが道に(迷え)と念じて置いた呪物に見えたのだ。

こういうリアルな感情が俳句にならばうまく織り込める。五七五のリズムは取材メモにちょうどいいのかもしれない。


「岩肌に 人の彫り跡 歩みを示す」

むき出しの岩肌に昔の人が岩を掘り進めた跡を見つけた。

この古道が通される前、鎌倉への交易は海沿いの、波のかかるような危険な道しかなかったのだという。

昔の人が鎌倉への思いを胸に岩を削った跡が、現代の僕の歩く方向を示してくれているのだ。なんだか心強いではないか。


「笹の背が 徐々に腰まで 伸びてきた」

「さんざんに あるいたけれども 人んちの庭」

ロマンは庭へと通じる

高く伸びた笹の葉をかき分けながら山道を行くと、ふと視界が開けた。そこに広がっていた光景を見て、僕は驚くことになる。

なんと人んちの庭だったのだ。

ここまで順調にロマンに浸りながら歩いてきたのに、結局出てきたのが庭か。その時の脱力感を上の俳句は詠んでいる。

さらにこの日始めてすれ違った観光客(外国人)に対して詠んだ俳句が下。


「勇気だし ハローと発した 虚しさよ」

山道効果とでも言おうか、普段ならば気にせず通り過ぎる通行人も、山道で会えば互いに挨拶を交わす。相手が外国人ならば照れずに「ハロー」だ。

しかし彼らは元気よく「コンニチワー」と返して過ぎていった。コ、コンニチワー。

このあと、切り通しは崖崩れのため通行止めになっていることを知って引き返すことになるのだが、その前に詠んだ俳句がこちら。


「おだやかな 自然を分つ 有刺鉄線」

自然の中に作られた人工物、しかもトゲトゲ。その異様さに人間社会の矛盾を詠んだ(いま適当にいった)。

正直言うとちょっと体力不足のため、このあたりではかなりふらふらしていた。そりゃそうだ、まともに食べたの、いつだっけ。

そして次が本当に最後の句となる。


「もうよそう スズメバチだけ 超でかい」

切り通しを後にした一番の理由は土砂崩れよりもこのスズメバチの登場だった。すごいでかいんだ。このくらい離れていても毒素がビンビンと伝わってくるほど。

句中、スズメバチだけ、の「だけ」は、僕の心と比較して、ということだ。怖じ気づいて縮こまった僕の気持ちに反して現れたスズメバチがでかい。この対比は今思えば面白いなと思う。

***

思いつきではじめた今回の俳句企画だったが、予想外におもしろかった。取材メモに五七五は文字不足だと思っていたのだが、読み直してみると十分にその場の空気を思い返すことができる。

いやはや、俳句っていいものですな。


先生に評をいただきました

今回の山行で詠んだ俳句を、デイリーきっての俳人、石原たきび先生に講評していただきました。オス!

・よかった句

「ドングリが いくつか並ぶと 呪いみたい」
石原評:「かわいらしいもの」として扱われることが多いドングリを、呪いと結びつけた発想が斬新。血文字的な誰かのメッセージでしょうか…。

「笹の背が 徐々に腰まで 伸びてきた」
石原評:草深いエリアに押し進んでいく情景を「笹の背が伸びてきた」と詠んだところがポイントですね。時間の経過が感じられて面白い。

「この岩は 落ちてきたのか 生えたのか」
石原評:「岩が生える」という表現が非常に詩的です。「それとも誰かが持ってきたのか」をくっつけると短歌になります。

・改善、修行したらよくなりそうな句

「枯れ草を 踏む足音が 他人みたい」
石原評:これ、いいですねえ。歩き疲れた末の離人感。こういう瞬間ってありますよね。「枯れ草を踏む足音のよそよそし」でどうでしょう。

「勇気だし ハローと発した むなしさよ」
石原評:外国人の登山客とすれ違った?尾崎放哉の有名な句「咳をしてもひとり」にちなむと、「ハローと発してもひとり」になります。

・全体を通してのコメント、アドバイス

季語がないものが多い、など俳句の文法から外れる点をスルーすれば、全体的にみずみずしい感性と面白い発想に満ちた作品が多くてびっくりしました。情景描写だけで終わっている句は、そのときの心情とか連想を詠み込むとさらにかっこよくなると思います。

ツイッターで「鼻にティッシュを詰めて原稿を書いています」というつぶやきを見かけましたが、今回の登山で風邪を引いたんでしょうか。
できれば、その体験も俳句にしてみて下さい。

***

石原先生、ありがとうございました。俳句、修行してみたくなりました。マラソンしながら42句詠む、とかそんな感じになってしまうかもしれませんが、またご指導ください。


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