埼玉県の川口市に「キューポラ定食」という食べ物があり、「川口市の名物」ということになっている。
僕は川口市に1年住み続けているが、今まで食べたことがなかった。
(斎藤 充博)
作られた名物
キューポラ定食とは、作られたB級名物グルメだ。今、日本全国の地方で「B級グルメで町おこし」みたいなことをやっているのはみなさんご存知の通り。このキューポラ定食もその一部だ。歴史はまだ浅い。
かつて、川口市の「JR西川口駅」周辺は、北関東屈指の風俗のメッカとして知られていたが、現在は風俗街は寂れて空き店舗が目立っている。
「風俗街が寂れている」という風景は、何とも言いがたいやりきれなさを感じる。性への欲望のギラギラと、どうしようもない路地のうらぶれが、一つの風景に入ってしまうのが原因かもしれない。
そこで地元の人たちが、西川口駅周辺でB級グルメ大会をやったり、こんなふうに名物を作ったりして、川口市を盛り上げてきた。
僕は、埼玉県川口市に引越してきて約一年が経つ。実は「キューポラ定食」をまだ食べたことはない。引越してきた当初は、そんな「作られた名物」に対するちょっとした反感があったのだと思う。
だけれども、今となってはそんなトゲのような気持もなくなってきた。だんだんと川口市民サイドの気持になってきた、というわけだ。
キューポラ定食を食べに行く
キューポラ定食は、川口駅前、そごうの地下1階のうどん屋さんで食べることができる。自宅から自転車で5分の距離だ。近い。いやあ!今まで無視していて悪かったね!
数年間口を聞いていない弟と、久しぶりに喋ったようなテンションで、そごうに行く。
実際のところ、僕にはそんな弟はいないが、そういう種類の気まずさを打ち破りながらの食事だと理解して欲しい。
さて。ここで「キューポラ定食」の「キューポラ」について話をしなくてはいけない。別に「キューポラ」という食べ物があるわけではない。キューポラとは「鋳物を作るための溶解炉」のことだ。川口市は古くから鋳物で栄ていた。その歴史は江戸時代までさかのぼるほどだ。
キューポラ定食は、そんな製鉄の歴史に引っ掛けた「鉄骨稲荷」と「雷スイトン」で構成される。
さっき「この街のあざとさも受け入れたい」と書いたのはこういうわけだ。人に「キューポラ定食」を説明する度に、一々川口市の歴史を説明せざるを得ない。こんな風にみんな地元のリトル郷土史家みたいなことになってしまうのだ。
まんまとのせられている形で、なんかちょっとだけ悔しいが、僕は受け入れると決めた。というかごちゃごちゃ言ってないで、単純に早く食べたい。
おいしい組み合わせだ
食べてみると、結構うまい。 辛いスイトンと、甘いお稲荷。柔らかい野菜とダンゴ、お稲荷の中のヒジキのシャクシャク感。スイトンのダンゴも二種類ある。
対比の妙をうまく使った味だと思った。B級グルメ独特のビックリしちゃうような感じはないが、実に手堅い組み合わせ。よくできた食べ物だなー、という気がする。
食べ終わったあと店員さんに聞いてみたら、「キューポラ定食はすごく人気がある」「これが今日の最後の一食だった」そうだ。僕がこれを食べたのは、午後の5時。夜まで営業しているのに、もうこの時間には無くなってしまうのか!そこまで人気のある食べ物だとは思わなかった。
正直な所「町おこしのために作ったけれども、全然地元に定着していないB級グルメなんじゃないか」なんて薄々思っていたのだ。でも全然そんなことはなかった。
これから経過して行く時間の中で、キューポラ定食は人々に愛される歴史を獲得してゆくのだろう。僕はその立会人になれたような気がした。
ラーメンのバージョンもある
西川口駅前には、「担々麺」と「鉄骨稲荷」の組み合わせのキューポラ定食も存在する。ついでにこちらも食べてみた。
基本的に「甘い稲荷」と「辛い汁」の組み合わせをそのまんま踏襲しているので、こちらもスイトンの時と同じように、うまい。なんというか、実に理にかなった組み合わせなのだ。
ラーメン屋のご飯もので「ライス」や「おにぎり」を出すところは、わりと良くある。これから日本全国のラーメン屋で稲荷寿司を出すことが流行ったとしたら、どうだろう。その時のメニュー名は全国どこでも、「キューポラ定食」とするのがスジだろうと思う。
すると、ラーメン屋を媒介にして、日本全国に埼玉県川口市の鋳物の歴史が、広がることになる。日本各地のラーメン屋でキューポラの解説が繰り広げられることになるのだ。全く、川口市の野望は底知れない。
身近な名物も楽しい
最初はちょっと敬遠していたけれど、食べてみたら、キューポラ定食はちゃんとおいしかったし、川口市の壮大な野望にも気づくことができた。
このキューポラ定食が、全国に定着した10年後くらいには、「川口市は鋳物の街」って日本中のみんなが言えるようになるかもしれない。