動物園の動物たちは服を着ていない。街を歩いているとたまに服を着た犬は見かける。しかし、両者とも共通してパンツははいていない。動物園に限っては服すら着ていない。
ゾウもキリンもゴリラもみな裸であり、ノーパンである。
人間である僕らは裸で外を歩くことはできないがノーパンにはなれる。ノーパンで動物園に行けば人間である僕も動物に近い存在になるのではないだろうか。動物と分かり合えるのではないだろうか。
早速、動物園に出かけることにした。
(地主 恵亮)
ノーパンで動物園に行くということ
動物園にいる動物でパンツをはいている動物はおそらくいないだろう。みなノーパンである。逆に動物園に来ている人でパンツをはいていない人はおそらくいないだろう。みなイエスパンツである。
僕は常々動物と分かり合いたいと思っていたが、それは簡単なことではない。話すことはできないし、猛獣ともなれば触れ合うこともできない。しかし、動物目線になる方法はある。それがノーパンである。
極論ではあるがノーパンになることにより動物寄りになる。ノーパンという点で全く動物と同じになるわけだ。きっと今までとは違う動物園が広がっていることだろうと思われる。 さっきから当たり前のように使っている「イエスパンツ」は英語的には間違っていると思う。
まずはイエスパンツ動物園
イエスパンツで動物園に訪れた。いつも通りの動物園である。ゾウはゾウであり、レッサーパンダはレッサーパンダであった。祝日のこの日は今の僕と同じでイエスパンツの来園者で溢れていたが、動物達は相変わらずノーパンライフを送っていた。
僕は今までノーパンという物を体験したことがない。お風呂やトイレなどでノーパンというタイミングはあった。しかし、人前でのノーパンは初めてである。この後ノーパンになるのだけれど、そう思うと、気もそぞろになりいつもより動物園を楽しめなかった気がする。
ノーパン動物園にようこそ
いつも通りのイエスパンツ動物園が終わったので今度は、ノーパン動物園に移ることにした。移ると書いたが場所を移動するわけではない。勝手にパンツを脱ぐだけである。
なんだろう、世界が急にクリアになった気がする。前述の通り僕は生まれて初めてのノーパンである。動物はこういう気持ちなのかと思う。何もかもに敏感になってしまうのだ。人の会話もいつも以上に耳に入る気がする。脅威を感じる。
動物の気持ちが分かる
ズボンははいているのに、なぜか無防備な気がする。動物は常に他の動物の脅威に晒されている。たとえ弱肉強食のピラミッドの頂点に立つ動物でも同じで、縄張りや群れを成す動物ならばボスの座を奪われる脅威など、動物はとにかく常に脅威に晒されているわけだ。ノーパンになると人間である僕も脅威を感じるのだ。
ノーパンになっても決して動物と意思の疎通ができるわけではなかった。しかし、動物の気持ちが分かった気がした。動物と同じで常に脅威を感じるのだ。たぶん脱げて見えてしまう脅威だ。パンツというワンクッションが無いために感じる脅威なのだ。
ノーパンは脅威を感じる
動物園とは関係ない結論になったが、ノーパンになると周りに敏感になり脅威を感じることが分かった。その点は動物と同じだ。結果、その状態で動物を見ると共感してしまう部分が増えた。ノーパン動物園は動物との距離を縮めてくれた気がする。