大山さんは1年半山籠りしたのだそうな
極真空手発祥の記念碑には、山籠りやその後の修行について書かれていた。それによると、大山さんは終戦間もない1948年に清澄に入山。1年半の長きに渡り山籠り修行を行ったのだという。常人なら1年半も清澄山に籠もるなんて出来ない。
大山さんの人生を元に描かれた漫画「空手バカ一代」では、片眉をそり落として(恥ずかしくて)下山できないように自分を追い込んで修行する様子が描かれている。[参考リンク]何度も読み返す本
飢えと孤独に打ち克ち、山籠りを終えた大山さんはその足で千葉県館山(房総半島のさらに南)へ向かい牛と対決して倒したのだという。このエピソードから、しばしば牛殺しと呼ばれている。
その後はあらゆる格闘家と対決して全勝。ゴッドハンドと絶賛され1964年に国際空手道連盟総裁および、極真会館館長に就任。なるほど、だから大山館長って呼ばれたり大山総裁って呼ばれたりするのだな。 |