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ひとの住んでない町めぐり

千代田区神田相生町&神田花岡町

千代田区神田相生町、神田花岡町の人口0

続いて訪れたのは千代田区神田相生町と神田花岡町だ。 ピンと来ないかもしれないけれど、実は両方ともJR秋葉原駅の北東部周辺の町名なのだ。

千代田区は丸の内や霞が関に人口0の町があるのだけど、この神田相生町と神田花岡町もこれだけの人口密集地域にも関わらず人口が0なのである。

千代田区神田花岡町周辺(マウスオーバーで町域を表示します)

 

ほぼガードの神田相生町

そしてここが神田相生町である。ありていに言えばガードだ。神田相生町の区画はほぼすべてがガードで、それ以外はほぼ何も無い。

神田相生町のほぼすべて
神田青果市場の名残「蔬菜 東口売場」は、フェンスが張られてて見えにくくなってしまっている

「ほぼガードか。書くこと無いな……。」と、思っていたのだけど、地図をよくみるとガード脇にある「センタープレイスビル」の住所が神田相生町だということがわかった。しかし、セントラルプラザとかセンタープレイスとか、なぜか人口0の町にあるビルは中心がすきだ。というかどちらも翻訳したらほぼ同じような意味になるんじゃないだろうか?

神田相生町唯一の建物、センタープレイスビル。フコク生命のビルらしい。
しっかりと「神田相生町1番地」と明記されている
食事はマックで、生活必需品はセブンイレブンでそろえれば生きていけるか?

センタープレイスビルの一階にはマクドナルド、セブンイレブン、居酒屋などが入居しているので、もし神田相生町に住まなければいけなくなったとしても、なんとか暮らしていけるのではないだろうか? 

目の前にはヨドバシカメラもあるし……。あ、でもヨドバシは神田花岡町だからダメだ……。 などと詮無いことを妄想しながらビルの周りをぐるりと廻ってみた。少し前まではこのビルさえもなかったので、その頃の神田相生町は働くひとさえいない、本当に「誰もいない町」だったのだろう。

 

ほぼバスロータリーとヨドバシカメラの神田花岡町

神田相生町のすぐ横にある人口0の町が神田花岡町だ。都バスロータリーの他、JR秋葉原駅、ヨドバシカメラなどがある。こちらは相生町とは違い、何も無いということはない。

ガンダムカフェも所在地は神田花岡町
バスターミナル横には一回100円の有料区営トイレがある

ガンダムカフェの出入口は、バスロータリーやヨドバシカメラのある方とは逆方向の高架下にあるので、ガンダムカフェから同じ町内にあるヨドバシカメラに行くには、かならず他の町内を通過しなければならない。

ちょっと分かりにくい例えかもしれないけれど、これは新潟県上越市の二本木地区のように、地図上では繋がっているように見えるけれど、交通手段が無いので、妙高市を通過しなければ同じ上越市内の中心部に行けないのと同じタイプの隠れ飛地と言えるかもしれない。

なんと秋葉原のガンダムカフェは隠れ飛地だった。

ガンダムカフェとヨドバシAkibaは同じ町内だけど、他の町内を通過しないと行き来できない

 

実は町がかなり複雑に入り組んでいるヨドバシカメラ周辺

神田花岡町周辺、特にヨドバシカメラ前の道路は町域がかなり複雑にいりくんでいる。

四町域が結構複雑にいりくんでいる(マウスオーバーで町域を表示します)

この横断歩道を渡って、ヨドバシカメラに行くだけで3つもの町を越えていくことになるのだ。町を3つも越えるというとなんだか大仰な感じがするが、たった数十秒で越えてしまう。

同じヨドバシカメラの建物に入っているけれども、おにぎり屋の部分だけ別の町(マウスオーバーで町域を表示します)

町田駅前のヨドバシカメラの建物も東京都と神奈川県の県境をまたいで建っているけれど、ヨドバシカメラはこういう境目に建物を建てるのが好きなのだろうか?

 

町の変遷を見てみる

現在、人口が0の神田相生町と神田花岡町。鉄道のガードや駅であればひとが住んでいないというのも分かるのだけど、鉄道が引かれる前、江戸時代はどうだったのだろうか?古地図をひもといて、その歴史をたどってみたい。

江戸絵図/須原屋茂兵衛版1843

1843年、天保14年の江戸地図を見てみると、「アイヲイ」という地名がかろうじて読める。

一方、花岡町はちょっと見当たらない。そのかわり「ハナフサ」という地名は見える。このころはアイオイ(相生)町にもひとが住んでいたと思われる。


東京近傍中部/陸地測量部1880

時代はぐいっと進んで1880年、明治13年の地図では花岡町が登場する。

よくみると神社のマークの横に「鎮火祠」の文字があるが、これはウィキペディアによると、1869年、明治2年の大火を受け、明治天皇の勅命で作られた、火除の神を祀る「鎮火社」のことだろう。

その鎮火社の敷地がそのまま花岡町となったと思われる。このころの花岡町には神社の関係者などが若干住んでいたかもしれない。


新撰東亰全圖/大倉書店1892

1892年、明治25年になると、鎮火社は消えてしまい、その跡地がそのまま「荷物停車場」となった。鎮火社は1888年に台東区へ移転し、そのかわりに貨物線の線路が上野駅から伸びてきている。

あと、よくみると神田川から堀割が荷物停車場の方に掘られているのも確認できる。

この前ブラタモリでやっていたけれど、現在のヨドバシAkibaのあった辺りは堀割があり、鉄道輸送された荷物を舟に積み替える舟溜があったのだ。


ニューエストS東京区分地図 12ページ/昭文社1978 より

さらに時代は進んで1978年、昭和53年の地図がこれだ。ほぼ、現代の町割りと同じだが、現在バスターミナルになっている辺りなどは貨物駅となっている。

おそらくこのころには相生町にも花岡町にもひとは住んでいなかったと思われる。


神田相生町&神田花岡町についてわかったこと

  • 神田相生町は江戸時代からあった。神田花岡町は鎮火社が作られたころにできた。どちらも江戸時代にはひとが住んでいたと思われるが、秋葉原駅が完成したころから人口が減っていったようだ。
  • ガンダムカフェは神田花岡町の飛地。
  • ヨドバシカメラは境界に建物を建てるのが好きなのかもしれない。
  • 人口0の町にあるビルは「中央」を英語でカッコよくいうのが好きなのかもしれない。

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