東京の被害は東北のそれに比べれば軽微なものだったが、それでも大きな問題だった思うのは、やはり交通網が麻痺した際の、首都圏の帰宅難民だ。ぼくも帰れなくなった。
情報があまり得られない中、どのタイミングでどういう手段で帰ればいいのか、という判断はかなり難しかった。さんざん話には聞いていたが、いざほんとうにそうなってみると戸惑うことばかり。関東大震災以来、東京にとってはじめての、実際に起こった大規模な帰宅難民問題だったはずだ。
と同時に、多くのみなさんと同様、ここ数日ぼくも「自分に何ができるだろうか?」と考えていた。で、出した結論がこれ。とりあえずみなさんの帰宅のログを残しておこう。後のために。誰かのために。
いま現在、100人あまりの方々の帰宅難民っぷりが集まっている。今回はそのいくつかをご紹介したい。
【引き続きみなさんの「帰宅ログ」を募集しています。くわしくはこちら】
でも、まずはぼくが帰宅ログを残しておこうと思った、そのきっかけについて少しお話ししよう。
ぼくも帰宅難民になった
あらためて、今回の地震でお亡くなりになった方々の冥福をお祈りすると共に、すべての被害に遭われた方に、一日も早く心安らぐ日が来ることを祈りたいと思います。
さて、冒頭はいうまでもなく、2011年3月11日の夕方の会話である。地震がおこったとき、ぼくは家から電車で1時間ほどかかる場所で打ち合わせをしていた。
で、いわゆる「帰宅難民」になった。JR、地下鉄など鉄道がすべて数時間にわたって動かなかったので、帰れなくなったのだ。 |