日本一小さい富士山が、長崎県は島原半島にある。
どういう意味?と言われそうなので補足すると、富士山に似ているということで「〜富士」と呼ばれている山が全国各地にあるが、その中で最も標高が低い。
しかもそれは、「〜富士」ではなく、名前がズバリ「富士山」そのものなのだ。
それに登ってきました。
(T・斎藤)
地図にもしっかり富士山と書いてある
全国に○○富士は数あれど、ここにあるのはそのものズバリ、富士山だ。
なぜ富士山と言われるようになったか?
現地にあった説明板によると、 「1670年代、島原藩主・松平忠房が参勤交代の時、駿河の国の宿で熱病に侵され、富士山浅間神社に平癒祈願のため家臣を代参させたところ、薄紙を剥ぐように全治したそうです。以来、毎年そのお礼参りをするようになりましたが、費用がかかり過ぎたそうです。そこで、島原藩領内で富士山に似た山を探していたところ、山の形が似ているこの山が選ばれました。」 とのこと。
富士山の代理という意味では、富士塚とも似ている。 が、それが江戸時代からとなると、もう地図に「富士山」と書かれるくらいになる、ということか。
富士山の場所は長崎は島原半島の先端、口之津(くちのつ)というところにある。このあたりはイルカ・ウォッチングができることで知られている。
道端に、「イルカのりば」と書かれた建物があって驚いた。「イルカに乗れる?!」と一瞬思ったが、「イルカ・ウォッチング船の乗船場」が勢い余って「イルカのりば」になったものと思われる。
「今回は道に迷いそうだな〜」、と思いながら車で近くまで行くと、すごくわかりやすい標識が立っていた。こういうのテンション上がる。
標識の前で車を停め写真を撮り、ふと見上げると、そこには紛うことなき富士山の姿があった。
これはまるで山中湖から見た富士山ではないか! と、この時は思ったものの、家に帰って後で冷静に写真を見返してみると富士山ってこんなスッポリ緑に覆われてない。(⇒ 富士山の画像検索結果)
が、そういうことを忘れさせる富士山っぽさがあった。
先に進む。
標識が指し示す方向へと進んでいったが、いかんせん道が狭くて不安になる。写真ではややわかりにくいが、車1台分くらいの幅しかない。対向車が来たら間違いなくすれ違うのに難儀するだろう。
すべての道はローマに通じると言うが、私は幾つも例外を知っている。狭い曲がりくねった道を泣きそうな顔でバックしたことが何度もある。
今回もそうなったら嫌だな…と思いながら恐る恐る進んでいった。
不安が頂点に達してから5分くらい過ぎた頃、畑仕事をしていたおばちゃんがいたので道を尋ねた。すると、
・このまままっすぐ行っても富士山に登る道はあるが、イノシシが出るのでオススメじゃない。
・富士山の標識があるところまで戻って、その先に車をとめて登った方がいい。
・あそこに見えるのが富士山で間違いない。
・小学生でも登るくらいなので道はけっこう整備されている。
とのこと。
というわけで、「一体あの一見わかりやすい標識はなんだったのか?」と考えながらそこまで引き返し、さらに進むとおばちゃんの言った通り、「ここから登れ」と言わんばかりの登山道が現れた。
ここで車を降りて登っていく。