戦後は最初は民政府にいたけど、軍政府に入って沖縄中の食料管理をしていた。 わしは事務局長で3年間はパリパリやりよった。
(バリバリbaribariではなくパリパリparipariという表現がステキです)
それから製糖会社の支配人をやった。
そこでは六法全書を見ながら株式会社を作ったよ。
終戦後の沖縄の株式会社第一号だね。
「大東糖業株式会社」っていってね。
大東島にまだあるよ。
その後は銀行に入って銀行管理もしたり。
銀行管理わかるか?
よその会社の社長の印鑑もこっちが持ってるんだよ。
社長も好き勝手にはできないんだよ。
(ここでは書けませんが県内の有名老舗企業がズラズラ)も危ない頃を私がやってたんだよ。 ははは。
普通の銀行員は事業をやってないからわからんわけさ。
でも私は(製糖工場の)経験があったから。
いろんな経験をしてね、ためになりましたよ。
みなさんから頂いた質問を聞いてみました。
−質問その1:子孫に残したい沖縄の言い伝えはありますか?
「命どぅ宝」だね。
命とはなんだと思う?
命は心と同じものだと思う。
心理学の宮城音春先生の言葉なんだけど「心とは喜んだり、悲しんだり、動かしたりという精神作用だ」という言葉がある。 命はどこにあるというものじゃないでしょ。 だから命は「いま生きている、考えている、行動している」そのものが命なんじゃないかと思う。
あのね、健康というのはね、
健体(けんたい)、康心(こうしん)と書くでしょ。
「健全なる体、康らかな心」あわせて健康という。
体が良くても殺人犯は健康じゃないでしょ。
人を憎んだり、恨んだり、怒った状態は康らかな心とは言えないよね。
体が元気でも心が康らかじゃないと健康とは言えない。
我々は生かされているんだ。
食事も農家の人が作ったもの、魚だって漁業の人が獲ってきてくれたものを頂いているわけでしょ 空気だって水だって感謝しないといけないと言うでしょ。
でも忘れてはいけないのが、私はね、我々の身体は60兆の細胞から成っているといつも思っている。 細胞のおかげで生かされているんだと感謝している。
みんな外のものには感謝するけど、内のものを忘れがちなんだ。 だから私は毎朝、足の先から頭の先までひとつづつ感謝の言葉を言っているんだよ。
「足の裏ありがとう、ふとももありがとう、腰ありがとう、手ありがとう…」 |