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コネタ


コネタ083

 
川をくぐって隣の町へ

大阪の安治川にはトンネルがある。川の下を人や自転車が行き交っているのだ。「何で橋を架けへんねん?」と思いつつ、ちょっと様子を見てきた。

上泉純



エレベーターか階段で下降

このエレベーターは自転車ごと乗ることができる。定員58名らしいが、ほとんど自転車で来る人なので、8台と8人くらいが限界なかんじだ。エレベーターの操作はおっちゃんがやってくれる。

西区側のエレベーター
計算上は学校の一クラスと半分乗れるようだ。

かたや階段。段数は93段。下りはいいが登りはきつそうだ。途中2つの踊り場で微妙に角度を変える。だんだん涼しくなっていくのが、「潜ってゆき感」を高めてくれる。

一段ごとにヒンヤリと
角度を変えても、昼なお暗き

川の下の回廊

穴ぐらの廊下といった雰囲気。狭いながら中央線があり左側通行が守られている。床と壁の下半分はタイル張り。さわるとひんやりして気持ちがいい。ここを131歩進むと対岸のエレベーター乗り場に着く。

左側通行
エレベーターがどすんとやってくる

再び上昇

降りる人のための真ん中を開けて待つ。そして乗り込み、上昇。エレベーターを降りるときには「ありがとう。」と皆一言。

カメラを起動するのが遅すぎました
あんちゃんもおっちゃんもねぇちゃんも赤ちゃんも。

ところで何でトンネルなのか

調べてみたところ、明治の頃には橋だったらしい。それもかなりユニークなやつだった。川のまんなかに橋脚があり、船が通るときにはそこを中心に橋がぐるんと回って川の流れと平行になり、船を通すようにしていたらしい。

回る様子から「磁石橋」と呼ばれていた

それが後の大水で損傷したため取り壊され、普通の橋になり、やっぱ船の航行のジャマになるということでこの交差点に名前の残る「源兵衛渡し」という渡し船になったらしい。ちなみにその渡し船を運営していたのは個人(源兵衛さん)というのだからクールだ。マイ船で市民にサービス。(有料だけど)

そして昭和になり、交通量も増えた頃、やっぱり渡し船じゃ限界あるよねってことでこのトンネルを作ることになったようだ。昭和10年に建設開始、できたのが昭和19年。って戦争中に9年もかけてこれを作る。なんか粋だ。

ここは驚くことに自動車も通れたのだ。今も面影は残っている。でっかい木戸の向こうには車ごと乗れるエレベーター。もし将来ビッグになってもてあますほどの権力を手に入れたらこのエレベーターを動かして乗ってみたい。萌〜。

木戸の向こうには巨大エレベーター

とまあ、のんきな現代人は萌えてみた訳だが、調べたところ、この位置にあること、橋でなくてトンネルを作ったことには訳があった。トンネルにすることによって敵機から見えなくなり攻撃されにくくなり、ここにあるのは、今は無き大阪砲兵工廠(いわゆる兵器工場)と港を直線で結んで安治川と交わるところだったからだ。むむ、合掌。

当時は革新的だった車も人も自転車もありなエレベーター付きトンネル。昭和52年に車のほうは廃止になったようだけれど、今日も自転車やおばちゃんは元気に川をくぐっている。

とんねるビル。左から階段、人用エレベーター、車用エレベーター。

「安治川隧道」(あじがわずいどう)

大阪市西区と此花区をむすぶ。左岸が此花区。右岸が西区。

 

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