それが後の大水で損傷したため取り壊され、普通の橋になり、やっぱ船の航行のジャマになるということでこの交差点に名前の残る「源兵衛渡し」という渡し船になったらしい。ちなみにその渡し船を運営していたのは個人(源兵衛さん)というのだからクールだ。マイ船で市民にサービス。(有料だけど)
そして昭和になり、交通量も増えた頃、やっぱり渡し船じゃ限界あるよねってことでこのトンネルを作ることになったようだ。昭和10年に建設開始、できたのが昭和19年。って戦争中に9年もかけてこれを作る。なんか粋だ。
ここは驚くことに自動車も通れたのだ。今も面影は残っている。でっかい木戸の向こうには車ごと乗れるエレベーター。もし将来ビッグになってもてあますほどの権力を手に入れたらこのエレベーターを動かして乗ってみたい。萌〜。
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