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コネタ200
 
カオスとしての石屋の店先

 自分の住んでる街でもいい。旅先で車窓から見かけたのでもいい。石屋の前を通ると、いつもなんだか胸がざわつく。

 その石材加工技術を誇ってなのか、さまざまな石像が並ぶ石屋の店先。こうして書くとなんでもないのだが、あのただならぬ雰囲気はなんなのだろう。

 これまで自分が感じてきたざわめきに決着をつけるため、回ってきた石屋についてレポートします。

(text by 法師丸

何気なくある解釈不能のカオス

誰かなんでもいいから説明してくれ
観音様・裸婦・裸婦
静かなる混沌

●脈絡という概念への挑戦状

 石屋を前にして、なぜだかざわめいてくる気持ち。自分ではどうすることもできないその感覚は、すでに不安と言ってもいい気がする。

 コンビニやスーパーでの整然とした商品陳列とは一線を画す石屋の店先。いや、一線以上の遠い隔たりがあるかのような雰囲気。「石像である」いう大きなくくりから先は、もうカテゴライズという概念はない。

 改めて写真を見てみると、石像自体のバリエーションが豊富すぎて分類できないというのが実情なのかもしれない。

 ただ、そうして分析してみたところで、心の中のさざめきがおさまることはない。普段の自分がいかに統一感や脈絡というものを無意識で求めているかがわかる。

 左の写真、観音様と裸婦という芸術性の高い石像の組み合わせだが、それらがこうして一枚に納まっていることで何かがずれてくる。

 ありがたい気持ちで観音様を拝みながら、横目でチラチラ見てしまう裸婦像。

 その他の陳列状態も、感じるところを何か言おうとしたところで、結局口ごもってしまう圧力がある。人を沈黙させる石像たち。

 ただ並べられているだけで否応なく発せられるオーラ。本来無機的なものである石を命あるものの形に刻み、変に魂みたいなものまで込めるからこういうことになるんだと思う。

ビーナス・鷹・鹿。石屋ならではの組み合わせ
カッパとブタはともかく、タヌキの顔が怖い

普通に石屋の店先なのだが

これでも小さい方
威厳とはまた別の迫力
意外と人なつっこそう

●単体なのにかもし出る混沌

 石への思いが募るあまりに、とんでもないことまでしでかしてしまうのが石屋という職業なのだろうか。上の写真、あくまで石屋の店先なのだが、どこかのテーマパークみたいな感じになってしまっている。でかさが半端じゃない。

 同じ店にはもうひと回り小さい同じデザインの像があるのだが、それでも普通でない大きさ。

 石屋の店先はいろいろな品が混じって混沌としているものだが、一個の作品だけでも十分に普通ではないものもたくさんある。

 左の写真、上の2つと比べると絶対的な大きさこそ差はあるが、それでもなんなんだと思うほど大きい。等身大以上ではないかという大きさ、目には瞳が入っていないのが不安をあおる。

 石屋にいるだけでどうかしてしまいそう。時代劇で有名なおじいさんに似ているこの像、特価84000円なら割と安いな、などと思ってしまうのも毒気にやられてしまっている証拠だろうか。

 その個性が放つ光芒を大きさに頼ることのない作品もある。左の写真、やっぱりこれは人面犬ということでよろしいだろうか。

 今となっては懐かしい人面犬。こんなんでよかったんだっけか。

 恐ろしかったはずの都市伝説も、石像化ですっかり骨抜き。立派な眉毛と人当たりのよさそうな表情が特徴的だ。

 他にも見る者を沈黙へと追いやる作品がたくさん並ぶ石屋。


不思議と石屋では常連のコロボックル
むやみな明るさも典型的な作風のひとつ
知の象徴としてのフクロウもこの勢い
そうかと思えばタコ
ついてる作品名が「忍耐」
フンフンフーン、フンフフーン

カニカニ

整然と並んでいるのに混沌としている
買って帰りたくなる笑顔

●円舞曲のように迫る石像

 一体でも十分に存在感のある石像だが、この世界にも大量生産主義の波は押し寄せている。市場に需要がある商品である以上、店先には同じものが複数並ぶことになるのだ。

 そういうわけで上の写真、カニである。

 それらしく消費社会について前フリしてしまったが、そういうこととは関係なく作られたようなカニの石像。むしろ、はじめにマーケティングありきという現在のビジネスシーンの風潮に、一石を投じているような気がしてならない。

 ずらっと並ぶ石像たちはなんだかわからない圧力をかけてくるようだ。きちんと並んでいるはずなのに、なぜ無秩序を感じるのだろう。

 それでいて目が慣れてくるとかわいく見えてくることも不思議だ。左のお地蔵さま、置き場を考えることなく、6体で10万切るなら買っていってしまいそうな気にもなってくる。


微妙な造形をかわいいと思えるかが分かれ目
縦に連なる例もある



なぜだかスピード感あふれる石屋の看板

いよいよ深まる混迷

 これまで自分が石屋に対して感じてきた、正体不明のざわめきを見極めるために行った今回の石屋めぐり。

 結論を言おう。まったく謎は解けてない。

 いや、そもそも謎なんてないのかもしれない。何も秘めることなく、ただそこに並ぶ石像たち。そこに何らかの解釈を与えるなんてことは、無謀で不毛な試みだったのだ。

 だからといって、平然と何も感じずに石屋の前を通り過ぎる男でいたいわけではない。それもまた違うのだ。

 人の心をざわつかせる石屋。今後もそうあってほしいし、私自身も今まで通りに石像たちに打ち震えていきたいと思う。




 

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