季節は春まっさかり、あたたかい気候に心も体もウキウキする季節だ。
そんな決まり文句があるが、口先ばかりになっていないだろうか。心はともかく、体は怠惰なままではないか。
慣用句ばかり達者な男でなんかいたくない。そういうわけで、スキップで皇居を一周してきました。
(text by 小野 法師丸)
●ウキウキしてやるぜ
色とりどりの花々と萌える新緑が美しい季節、春。自然の生き物たちも活発に動き始める頃だが、それは人間も同じ。心身ともになんだかはずむ今日このごろだ。
そんなことを言いながらも、やってることは昼寝だったりする自分。それではいけない、有言実行しなくては。
そういうわけで、勢い余って皇居にやってきた。
ジョギングコースの定番である皇居。当日もたくさんのランナーが息をはずませていたが、さすがにスキップしている人はいない。春の喜びを体いっぱいに表現してみようじゃないか。
入念にストレッチをしていざスタート。うん、やっぱり普通に走るよりスキップの方が楽しい。すれ違う人もみんな微笑んでいるように見える。
気持ちのよい春の風がすがすがしい。やってみる前はかすかに恥じらいもあった私だが、いざスキップしてみるとその楽しさにそんな気持ちは吹き飛んでいった。
しかし、こうして静止画の写真で見るとスキップのウキウキ感があまり伝わらないようにも見える。
スキップの躍動感をお伝えできるのではないかと思われる写真をチョイスしてみた。始める前まですっかりスキップを忘れた大人だった私も、無意味にスキップしていた子供時代を思い出した。
●スキップのポテンシャル
懸念されていたスピード感も、思った以上にある。
ちょっとした歴史的瞬間だ。予想していたよりもスキップは速い。私の笑顔と走っている人の驚いた表情とのコントラストも印象的だ。
しかし、いいことばかりではない。普通の走り方と比べて明らかに無駄の多いスキップ。その無駄こそがウキウキ感の根幹でもあるわけだが、着地の際の足への衝撃が普通に走るより強いのは否めない。
高く跳ねる喜びと裏腹の、着地の時の衝撃。特に指先には普段以上の負担がかかり、早くも痛みを感じてきた。軽い靴ずれを起こしているのかもしれない。
しかし休んでばかりいてはゴールは近づかない。さあ、スキップ再開だ。
●マラソン気分でスキッピング
春の風は頬をやさしくなでてくれるが、やはりコース半ばになると喉も渇いてくる。
気分を出すためにマラソンの給水所風にお茶を取って飲んでみたが、実に飲みづらい。
普通に走っていてもスムーズには飲めないだろうが、スキップ独特のリズムはさらにそれを飲みづらくする。口を近づけても飛んできたお茶が顔にかかるばかりで、あんまり飲めない。
それにしてもペットボトルにしたのは賢明だっただろう。紙コップだったら全部ぶちまけて終わりだったと思う。
●そして、感動のフィナーレへ
身体能力を向上させる有酸素運動として、スキップの潜在能力は高いのではないだろうか。無駄な運動量がある上、それが楽しさの源にもなっているから継続にもつながる。
心の中でスキップを肯定しながら、ゴールに向かって突き進む。
ランナーズハイという言葉がある。最初は苦しかったジョギングも、走っているうちに気分がよくなってくるという現象だ。
脳下垂体から分泌される物質がその原因になっているらしいが、このときの私もそうだったのだと思う。子供の頃あんなにスキップが楽しかったのは、スキッパーズハイとでも呼ぶべきことが起きていたのだと思う。
個人的は感動的なゴールだったのだが、スキップに対する世間の目は冷たい。写真左の女性の様子を見てもそれがよくわかる。
しかし、心に去来するのはそんな奇異の目すらものともしないさわやかさ。心も体もウキウキ、あの言い回しをしっかりやりきった。何か後ろめたいことなどあるだろうか。
私に残ったのは、充実感と最近感じたことのない足の疲労。やっぱり長距離にスキップはむいてないのは否定できない。
●スキップがもたらす喜びと微笑
皇居周辺という場所柄、警察官の姿も多く見られた今回の試み。場合によっては職務質問も覚悟していたが、そうしたこともなく終えられた。
聞かれたところで「スキップしてるんですが」としか言えなかったと思う。
それ以上も以下もない。強いて言えば春だからだ。
今回の試みで世間に少しでもスキップの楽しさをアピールできたなら、私としてもこんなに幸せなことはない。