実家に帰ったときなど、自分が幼児期に描いた絵を引っ張り出してきて見入ったりしませんか。
クレヨンで一生懸命描いた絵。それはいいとして、ページを繰るうちに妙な図絵が混ざるようになってくる。「?」
漢字のようだ。書いた当時は小学校に上がる前なので見よう見まねでやっと書いているはずだが、ひいき目に見てなんだかうまい気がする。私は神童だったのか。
でもやっぱり変だ。ちょっと見てもらっていいですか。
(乙幡 啓子)
ひらがな期
暇に飽かせて納戸をあさり、「じゆうがちょう(自由画帳)」(懐かしい響きだ)などをいろいろ取ってきた。
「すみれ組 おつはたけいこ」だ。
幼稚園年少組くらいまでは、ひらがなをめいっぱい使ってのびのびと描いている。
黒目がちなライダー。
黎明期
それが、いつしか興味の対象は漢字へと移っていく。何かを見ながら書いたとは思うが、幼稚園児にしてはまずまずのようだ。
惜しい!でも「乙畑」じゃないよ私は
試行錯誤期
「漢字を書く」ということに興味を覚え、手当たり次第に書き散らかしていたらしい。そのまま練習していたら天才児としてTVに出られたかもしれない。しかし奔放な幼児のイマジネーションはあさっての方向へ向かっていく。
「音々富礼と 岡茶頭(?)音に」だそうだ。なるほど。
こうやって見てみると、いかに幼児とはいえ、外国人が見よう見まねで漢字を書くのとはまた違い、割と勘どころを押さえているように見える。お箸の国のひとだもの。
開花期
今、汝のその幼き手に「漢字」といふ名の道具が授けられた。思うがまま創造するがよい!とか何とかご託宣を受けたんだろうか。そこに日常のテレビ的嗜好が加味され、このように展開していったらしい。以下、パターンが大体決まってきているので分類してみる。幼児期私がどんなものを見ていたか。
いちおう文章になっているのがすごい。「の」が多いので、ワードなら注意されてしまう。
「社会の肉」 って皮肉のことか。
冠スポンサーまで書かれているが、なんだこのゴンドラは。
そして永井高三クイズ。 なんだか辛気臭いぞ!
神本丸さん、奸川?丸夫さんだ。
そしてやっぱり出てくるのが巨泉だ。
架空の株式会社に電話番号まで設定。なぜ。
以降も繰り返し繰り返し絵に描いている。
「味なことやる〜♪マクドナルド」当時のCMです念のため。
と、親が色めきたっていたであろうことが想像できる。どうもすいませんでした両親。
その後はこんなふうに字の鍛錬をしたこともすっかり忘れて、普通に小中高と漢字を覚えていったのだった。
最近になって、なぜか漢字検定を勢いあまって受けてしまったが、もしかしたらこれが起源だったのかもしれない。