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コネタ


コネタ604
 
日常で無駄にモデル立ち

皆さんはこんなことはないだろうか。「あれ?俺今ヒーローみたいな立ち方してるな」「あら?私今モデル立ちしてるわ」
ふとした隙に日常に忍び込んでくる、そんな「かっこいい仕草」。長電話や、長く待たされたりしているときなどに、うっかり劇的なポーズをとっていたりする。

今回は、そんなうっかりな状況をあえて再現。まったくの鈍い日常において、積極的に「無駄なかっこいいポーズ」をとってみた。街を、要らんドラマで満たそう。

乙幡 啓子

試行錯誤

めったにもう公衆電話から電話することなどないが、あえてここは緑電話で。やたらでかい受話器をもてあましつつ、アプローチしてみる。



足は基本のモデル立ち、手は腰に、受話器持つ手は小指立てて小粋に、目はあらぬ方向に。


と考えやってみるがどうもいまいち決まらない。手を無理な高さまで上げて、顔は見えぬ相手との弾む会話を体現。そしてカメラを下方から構える。

足よりも、手と顔をありえない位置に持っていったら、ちょっとイメージに近づいたのではないかと思う。あきらかにその周囲の人々と違う電波を放ち始める。

だが、まだまだだ。

 

とにかくやり慣れてない

今度は、ちょっと腰掛け状態で演出してみよう。ファッション雑誌でもこの手のポーズは欠かせない。


ちょっと車椅子用の公衆電話をお借りした。足を組んでみたがどうも普通である。


足をもっと上で組み、やはり小指立てて受話器を握り、顔はあらぬ方向に。

いやー、やり慣れてないことバレバレだ。自分に腹が立つ。昔からポーズを作ったりお愛想振りまくのは苦手だったので、こういうときも手持ちの札、なさすぎである。冷蔵庫に何もないのでバターでもかけてご飯食うか、ってな感じ。

でも、もうちょっといろいろ試してみれば、何か気づきがあるかもしれない。

 

もっと色のない日常で

コンビニでいちおう「VERY」などのファッション誌(渋い)を研究してみたが、「お隣の奥様と談笑しながらレストランに入っていく」「桟橋で風に吹かれながらたたずむ」といった具合で、あまり期待していたような「ドラマチックさ」という絵は見あたらなかった。

なので勢い自分の持ちうる限りの、記憶している限りのポーズをとらざるを得ない。それがどうも、なんだか昭和40年代みたいな、「オー、モーレツ!」「ハッパフミフミ」のような、時代錯誤な感じになってしまっている気がして、違う意味でモーレツに恥ずかしい。



女がひとり。


今年もこの街にやってきた。

お、こういう人たまにいませんか。いない。そうですか。

余談だが、以前、ダンスのシニアのチャンピオン(50歳代)がなかなか含蓄のあることを話してくれた。彼曰く、ダンスがうまくなるコツとは

・ふだんから鏡を見る

本当か。しかしそれは普通の頻度ではなく、食事中もテーブルに鏡を置くなど、なにかっちゅうと鏡を覗くのだという。そして「変な顔・ポーズ」にならないよう、常に注意を払うそうだ。すごいこと言ってるようだが、かっこよさ・美しさを保つための真理でもあると思う。



常に自分がどう見られているか意識することなり。


駅構内では、ポーズをとるとなんとなく周囲から人がいなくなっていく気がしたが気のせいだろうか。



券売機は誰しも心や体にスキマができているものだ。そこをがんばって埋めたい。


やっぱりポイントは肘だ。そして足は大胆に開くのが望ましい。つま先に神経を集中。

今回はほぼ自分だけ写してみたが、次回は集団の中の自分がどう見えるか、いろいろ大変だがやっていきたい。

自分で「あ、今オレ劇的?」と気づくと恥ずかしいが、気づかないで宝塚みたいになっている他人を観察するのは楽しい。

清水ミチコさんの芸で、集団に溶け込んで写真を撮る、というのがある。一般人にまぎれて、なるべく本人とわからないように、太極拳やコーラスをしている。

逆に、平凡な状況でも自分から積極的に「かっこいい仕草」をとっていけば、日常は君の知らない光を放ち始めるかもしれない。たとえそれがバカに見えても。


 

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