新宿区立新宿歴史博物館におじゃまして、事情を説明したところ、研究員の北見さんという方が後日お会いしてくださることになった。
あらためて出直し、北見さんにお話をうかがう。お忙しいなか、素人のぼくにも分かりやすく丁寧に教えてくださった。
―お寺が集まっている件ですが、敵の侵入を・・といった話は本当なんでしょうか。
「たしかにそういうことをおっしゃる方もいますが、文書で証拠が残っているわけではないんです。いわゆる俗説になりますね。」
―なるほど、では何ともいえないわけですね。
「ええ。もしかすると本当にそういう理由だったのかもしれませんが、何にしろ都市計画がそういう意図で行われたという証拠がない以上、正しいとも、間違っているともいえないのが本当のところです。」
―より一般的に考えられる理由はありますでしょうか。
「城下町の周縁に寺町(寺院の密集地)が広がるのは、全国的にも多いんです。金沢の寺町は観光地になっていますよね。江戸城下でも、若葉町に限らず、早稲田や牛込などにも寺町が広がっています。」
「寺町が周縁に広がる理由は、それこそ証拠がないのでなんともいえませんが、お寺には墓地があり、亡くなった方を葬る場所でもありますから、やはり俗世間とは隔絶されている。そこでそれらを、町なかよりは、周縁部にまとめてもってくるということもあったのかもしれません。」
分かりやすい説は印象に残りやすいけれど、かならずしも証拠を伴わないことがある、ということなのかもしれない。
お忙しいところ、ほんとうにありがとうございました。 |