休日に部屋のそうじをして、棚に雑然と置いてあったものをきれいに並べる。おお、改めて見ると気持ちいい。なんだか達成感がある。
そうだ、物を並べるって実はきれいで楽しい。そう思うと急に並べ欲が出てきた気がする。
そういうわけで、別に並べなくてもいいものまで並べることで、無理やりにでも楽しさや達成感が得られるかやってみました。
(text by 小野 法師丸)
きっかけはスイスのすごい積み木
並べるって実はすごい。そう思ったきっかけは、おもちゃ屋さんで見かけたすごい積み木だった。
スイスのネフという会社の「アングーラ」という積み木セット。ネフ社の玩具にはいろいろあるのだが、個人的にこれが気に入って大人なのに積み木を買ってしまった。
箱には上の写真のような状態で入っていて、もうそれだけでもきれいなのだが、これをなんとなく並べるだけでさらに楽しくなる。
強いて教科で言えば数学なのだろうか。法則性とか規則性みたいなものがはっきり意識できなくても、積み木の方が身をもってそれらを表してくれているうようにも見える。
上のニ例は平面的に並べたが、高さを出して並べることもできる。
積み木で遊ぶのなんて何年ぶりかわからないが、適当にいじっているだけでずいぶん楽しい。積み木のデザインのよさが、改めて並べることのおもしろさを教えてくれたような気がしたりもする。
身のまわりの物でもチャレンジ
先のすごい積み木は作品としてのデザインがもともと優れているのだろうが、もっとありふれたものでも、並べてみるとまた違って見えてくるのではないだろうか。
試しに開けてみたのは、筆記具を入れている引き出し。ごちゃごちゃとしているペン類だが、これらだってきちんと並べてみたら別の光を放ったりはしないだろうか。
自分で思ったことながら、それは本当だろうかと疑念を抱いたまま並べてみる。
引き出しの中の筆記具を、たまたま手に取った順番で並べてみる。この状態だと、まあ普通にいろんな長さや色合いのものたちがある、といったくらいの感想か。
今度はそれを長い順に並べてみよう。小学校のときに並んだ、いわゆる「背の順」というやつだ。
大したことはしてないのだが、ちょっとだけなにかやったような感じになる。結構微妙な差だが、左から右にかけてゆるやかに帯が細くなっているように見える。
今度はこれを、やはり長い順から角度をつけて並べてみる。
ちょいちょいと並べてみただけで、さっきまで小汚かった筆記具たちもなんだか気取った風に見えてくる。どっかの会社のマークです、と言ったらだまされてくれる人もいるんじゃないだろうか。
単に放射状に並べただけでも、なんだかちょっと楽しくなってくる。そういえば暇な授業中、筆箱の中の物を退屈しのぎに机の上に並べていたこともあった。
なんだそうか、むしろ退行なのか、この試みは。
気づかないでいいことに気づいてしまったか。楽しかったあの頃を思い出すという、取ってつけたような言葉で乗り切りたい。
うまくいったりダメだったり強引だったり
さらに他のものでも試してみよう。ちょうどさっき開けたチョコレートの袋があった。まだいっぱい残っているので並べてみる。
ひと粒ひと粒を見てもそれほど感じなかったのだが、こうして並べてみるとなんだかおいしそうな雰囲気がアップしたような気がする。
そういえば日常生活では逆の例があった覚えがある。パッケージの写真でおいしそうな並んでいるのが、箱を開けてみると意外とそうでもなかった、と感じたことはないだろうか。
恐るべし並べパワー。人をあざむくこともある整列の威力。
しかし、そうした並べパワーをもってしても、ぱっとしないものもあった。ビン詰めのメンマだ。
メンマを長い順に並べてみたのだが、全然おいしそうに見えない。それなりに時間と手間をかけての作業だったにも関わらず、成果らしきものが全く見えない。単なる徒労だ。
少し工夫して並べてみたのだか、ちっともぱっとしない。やはりメンマそのもののへろへろした感じが、並べパワーをも上回るのか。
メンマの場合は自然な感じで盛り付ける方がよさそうだ。 並べることのすばらしさは何にでも通用するわけではない。整列させるとダメな場合もあるというのは意外な発見だ。
手当たり次第に並べたい
積み木をきっかけに、もりもりと湧いてきた並べ欲。今まで「並べ欲」などという言葉は聞いたことがなかったが、目覚めてしまうと確実にそれはある。
この記事を書くに当たって試して以来、目につくものをどんどん並べたくなっている。もしかしたらまずいかもしれない。
うまく並べられると結構本気でうれしかったりストレス解消になったりするので、怒られない範囲でいろいろと並べてみるのもいいかもしれません。