スキャニング・ザ・1970年代
昭和45年1月、寒い冬の夜に僕は生まれた。両親にとって初めての子供で、命名には随分と悩んだそうだ。 「正徳」という名前は父の上司のお父さんが付けてくれた。他に「環(たまき)」という名前が最終候補に残っていたという。住環。字面だけ見ると第3セクターの略称みたいだ。
生後10ヵ月で腸重積という病気にかかった。母親がぐったりとした僕を抱えて病院に駆け込むと 「あと、10時間遅かったら死んでました」 と先生に言われたらしい。
脳を輪切りにして写真を撮っているのだろう、赤い光が目の上をかすめると、体が数センチずつ上にスライドしていくのが分る。
昭和52年、近所の遊園地にスーパーカーショーがやって来た。この頃、スーパーカーブーム真只中で、スーパーカー消しゴムを集めたり、東名高速をまたぐ陸橋の上でスーパーカーが現れるのを1日中待っていたりしていた。
昭和53年5月、初めての野球観戦。 大の巨人ファンだった父の影響で僕も巨人ファンに。後楽園球場に巨人VS阪神戦を観戦に行ったが、阪神ファンで埋まるレフトスタンドしか席が空いておらず一家で肩身の狭い思いをした。 この日は確か巨人が負けて父の機嫌が悪かった。
「あと1分くらいですので、我慢して下さいね」 CTスキャナーの操作室から先生がマイク越しに声をかけてくれる。 3分ちょっととはいえ、頭を動かせないのは結構辛い。