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はっけんの水曜日
 
おとなの夏休み〜栃木ヤキソバ旅情編

「すいませーん。……すいませーーーーん。すーいーまーせーんーーーー」
『やきそば』と書かれた赤いのぼりの前で、私は大声を出していた。
返事がない。
「ねえ、店の隣につながってる家に声かけたほうが、いいんじゃない?」
友人のR子が言う。隣の、すこし窓の開いた民家のすき間をのぞいてみる……と、テレビを見ている、黄色いTシャツを着た女の人の、まるい背中が見えた。
「すー、すいませんー」
「………………あ、ごめんなさい、ハイハイ」
「あのう、やきそば食べたいんですけど……いいですか?」
「あ、いいですよお〜、ちょっと待ってくださいねえ」

狭い店内に入って、ビニール張りの椅子に座る。暑い中を歩きたおしてきたので、汗だらけだった。頭の中で「コーラとヤキソバ」の味を思い浮かべていた。

(text by 大塚幸代


「すいません、あのう、私はコーラとお…」
「あああ〜、ごめんなさいねえ、今は飲み物はやってないの」
「え……」
壁に貼られたメニュー表を見る。
「じゃ、じゃあ氷イチゴと…」
「氷もねえ〜、今年こんなに暑いのにねえ、やってないのよお〜、うふふ」
なぜか笑うおばちゃん。
でも別に腹は立たなかった。
腰の曲がっているおばちゃんは、部屋の奥に入っていき……曲がった状態のまま、自室から、古くて大きな扇風機を運んで持ってきた。



「暑くてごめんねえ。扇風機しかないけれど」
首ふり状態にして、私とR子の席に風が当たるようにしてくれる。
「じゃあ、やきそば2つ」
「はい、やきそばね」
しばらくして、ガリガリガリ、と奥で氷を砕く音がして、グラスに水が運ばれてきた。
とりあえず飲む。冷たくて美味しいけれど、水道水の味がした。
彼女はふたたび奥に引っ込こむ。またしばらくして、ジュージューとソバの焼ける音がした。

私とR子は顔を見合わせて、扇風機の風にあたっていた。




「はい、おまちどうさま」
予想外にこんもりと量多く盛られた皿が、運ばれて来た。
「……このへんのヤキソバは、ジャガイモ入ってるんですよね?」
「そうよお。入ってるの。……あれお客さん、ここらへんの人じゃないの?」
「東京から来たんです、ジャガイモ入りのやきそば、食べたくて」
「あら〜、そうなの〜……」

確かにおイモが入っていた。サイの目切りだ。




「……あ、おイモ、焼きそばに合いますね」
「ね、ここらへんのやきそばはねえ、どこも入ってるのよ〜。でもねえ、おばさんはイモ好きじゃないから、自分が食べるときは入れないんだけどね〜、うふふ〜」
「……そ、そうなんですか…。今日実は、この焼きそばの食べ歩きのために来たんですけど、休みの店が多くて…」
「このへんはねえ、月曜日休みのお店が多いのよ〜。……昨日来たらよかったのにねえ〜。昨日はねえ、夏祭りだったのよ〜。このへん、ずーっと」
「えっ……そ、そうなんですか……」

彼女はみたび、部屋に入っていき、しばらくして、トマトを切ったお皿をふたつ、持ってきた。
「これ、食べたら、サッパリするよ〜」
「あ、ありがとうございます…」




正直言って、やきそばは、びっくりするほど美味しいものではなかった。でもトマトは、びっくりするほど美味しかった。思わずR子と
「おいしくない?」「おいしいよ」「おいしい」「おいしいわ〜」
と声を出してしまうほどだった。
おばちゃんは「うふふ〜」と笑って、新しく作った氷水と、私達の飲みかけの水を替えてくれた。

ちなみに値段はひとり300円であった。安い。


 

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