原点に戻って探索
翌日は植木町にやって来た。 植木は熊本市内から北へ13kmほど行ったところ。 ここは今回の疑問のきっかけを生んだ原点でもある。
車を停め、しばし辺りを散策した。 1ページ目の写真もこの日に撮った。(美少年剣道は健在だった。)
がしかし。 ここでもやはり美少年と名の付くものは見つけられなかった。
時間の都合上、あまり時間をかけて探す余裕もなかったので、そこでこの手のものは地元の人に聞くのが一番と、植木町役場を訪れストレートに聞いてみた。 「美少年知りませんか?」 と。
役場のかた曰く、
と、まぁこんな感じだった。
田原坂の美少年像
ということで、最後に役場の人も言っていた 植木町にある「美少年像」を拝んで締めくくりたい。
歴史好きの人なら既にピンと来てたかもしれないが、植木は西南戦争最大の激戦地、田原坂(たばるざか)があるところなのだ。
明治10年、薩摩軍が熊本城を包囲すると、政府軍が熊本鎮台の救援に博多方面から駆けつけ、そしてここで薩摩軍と激突。
田原坂が、熊本城へと通じる道で砲隊が通れる幅のある唯一の道だったことから、この地の主導権を巡って激戦が繰り広げられた。
辺りはまったくもって何もない。が、これは裏を返せば 「明治時代からほとんど変わってないのでは?」 と思うくらい手付かずの状態で残っているということで、当時を彷彿させる風景がなんだかすごい。 (公園部分はちゃんと整備されている)
西南戦争は日本最大にして最後の内乱。 官軍薩軍それぞれ約7千人、計約1万4千人もの人々が戦死したという。その多くは、ここ田原坂の戦いで亡くなった。
ここに、美少年像なるものがある。
像の下には、ひとつの詩が書かれていた。
雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂 右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年
西南戦争には、少年兵も数多く参加していた。 その少年兵が田原坂で戦う様子を歌ったもので、ここに「美少年」というフレーズが登場する。
馬上ゆたかな美少年
つまり、どうもここから熊本(特に植木界隈)では「美少年」という言い回しがよく使われるようになったようだ。(おそらく)
まとめ