桐生っ子が一度は通過した苦悩
ある場所とは、大森のニフティで開かれる、デイリーポータルZの企画会議。その会議室に4キロのバットプリンを持ち込んだ。タクシーからエレベーターあがるまでに大汗かいてしまった。
本当の給食当番ならバットの両端に持ち手がついていて、2人1組で運べたのだが。
さてこの会議室に、当時の学校における1クラス分―40人から45人の生徒が座っているとしよう。
配膳の前に、あの一面のプリンを人数分に切り分けないといけない。切り分けるにはナイフなどは使わない。そこにあるもので行う。それは「お玉の持つほう」だ。お玉の柄である。
お玉の柄で5×9=45個になるように切り分ける。奇数かける奇数。小学生がうまく均等に分けられるはずもない。そう、切れ目を入れるのも児童の役目だったのだ。
ただでさえ「カレーの大鍋を廊下で取り落とす」などのアクシデントに見舞われることの多い給食当番の、なんと責任の重かったことだろう。
責任が重い、というのは、「各自に均等な大きさでいきわたらないことへの申し訳なさ」ばかりでなく、直接的な圧力をも指す。いじめっ子からの脅迫である。
「そこの角の大きいところ、くれよー!」「あ、だめだよ、端っこから順番に配ってるんだから・・・」「いいじゃん、ほら、お玉貸せ!」ってなことになるのである。当時、実際そういう輩に泣かされている男子もいた。
給食当番には脅迫に屈しない強い心も求められるのである。
食べたプリンは、幼い頃に母親が作ってくれたような懐かしい味がした。まだ若かった頃の母親が、お金をかけず手間要らずで作ったプリン。
実際に給食で出たプリンは「具無しの甘い茶碗蒸し」のような、もっと寂れた感じの味だったように思う。が、お玉で無謀に切り分ける再体験をできたので、満足だ。
実際には4人分くらいしかお腹に入りませんでした。半分弱余ってしまったので、タッパーに入れて持ち帰った。家でも数日かけて消費した。当分プリンは見ないようにしよう。
「クラスの人数分作る」ということがいかに大変かわかった。同時に、なんだか楽しそうにも思えてきた。45人分のカレー。45人分のポテトサラダ。45人分の肉だんご。頭に思い描くだけで興奮するので試してみよう。