小田原にもある「ういろう」
というわけで次なるういろうを求めて東海道線下り列車に乗っています。目指すういろうは小田原にあるらしい。
ういろうの起源はよくわかっていないらしいのだけれど、なんでも小田原を発祥の地とする説もあるのだとか。
正直発祥とかどこでもよく、愛知限定の奇食でないことがわかっただけでも調べた甲斐があったのだけれど、こうなってくると小田原のういろうというのが食べてみたい。それはいったい愛知のういろうと違うのか。
小田原というとかまぼことか干物なんかが有名だと思う。駅前のお土産屋さんにもやはり魚関連の土産物がならんでいた。
この棚の裏の一角にそれはあった。
あった。
「ういらう」と書かれてはいるが、現代読みはもちろん「ういろう」である。
パッケージを見ると「ういろう」が小田原のものであることが主張されている。
全体的に懐かしい感じがする
パッケージは宮崎のような原色ではなく、愛知のそれに似た茶色ベースの渋い色合い。書体や挿絵も枯れた感じで僕の知るういろうのイメージをちゃんと踏襲している。
小田原のういろうを切ってみてまず思ったことは、ベトベト感が少ないということ。切ったあとに包丁が抜けなくなるくらいのベトベトでなくては調子がでないわけだが。
小田原のういらう、食べてみると抹茶の風味が口いっぱいに広がりなるほどうまい。甘さは控えめで、歯ごたえはどちらかというと羊羹の方が近いかもしれない。
パッケージの利便性といい、歯ごたえと甘さのバランスといい、いかにも和菓子好きが作ったういろうという風情がある。
しかし愛知のあの甘くてベトベトしたういろうで育ってきた体には少々物足りなさがあるのも確かだ。
あと小田原のういろうにはパッケージに「古くなったら焼いて食べてもおいしいです」と書かれていた。これもよくわかっている人の意見だ。ういろうはでかいまま頂くことが多いので(愛知でのライトな贈答品はかなりの確率でういろうが選ばれる)、たいてい全部食べきれない。僕は古くなったういろうを焼いたものも好きだった。