無残についえた巨大わりばし鉄砲。しかし、挫折を味わってこそ届くゴールというものもある。子供では持ち得ないこの視点。
もう一度原点に戻って、今度はホームセンターを訪れてみた。やってることはわりばし鉄砲だが、失敗事例を冷静に振り返ろう。ホームセンターにくれば事態が打開できる、そんな予感がする。
真っ先に向かったのは木材売場。立ち並ぶ木材たち、見ようによってはこれ自体が巨大わりばしだ。
適当な長さ・太さのものを買ってきた。こうしてただ置いてみるだけではあくまで角材だが、
先にどんぶりを置いてそれっぽく持ってみればわかる。やっぱりこれはわりばしだ。遠近法を巧みに利用することで、言っていることの無理はある程度カバーできる。
それはズルではないかという心の声には耳をふさぎ、そ知らぬ顔をして鉄砲作りの作業を進める。心に去来することに上手にフィルタをかけることも、大人ならではのわりばし鉄砲作りのうちだ。
そういうわけで、割とたやすく巨大わりばし鉄砲が完成。この写真だとその大きさがよくわからないだろうか。
これまでのものと比べた感じはこんな具合。巨大わりばし鉄砲1号もかなり大きなものだったが、それよりさらにふた回りくらい大きなものになっている。
本当はもっと長くて太い角材を導入してもよかったのだが、家に入らない可能性を冷静に考慮してこの大きさとしてみた。
持ってみた感じはこんな具合。すでに鉄砲の域を超えて、バズーカーくらいの感じにまでなっている。
気が付くとすっかりうれしくなって悦に入っている自分。ここで油断して近所の人の目に触れたりすると、説明しづらい状況におちいるのは間違いない。そういう緊張感は忘れずにいたい。
輪ゴムを装填してみてもこの通り。もう銃身が反ったりはしない。失敗は確かに糧として生きているのだ。